泉の底に一本の匙夏了る
泉、水が湧き出るところである。わたしは発想の混迷により、ついに(匙を投げてしまった)。
泉の底にはわたしの投げた匙が一本・・・発見されるはずである。
あんなに熱かったわたしの想い、口惜しいけれど。
あんなに暑かった夏もすでに秋の風を孕んでいる。
枯蘆の流速のなか村昏るゝ
枯蘆、冬である。
流速、流れの速さを言う、つまり早いとも遅いとも言っていないということは《時間》、絶対的な時間、時の流れを指している。
昏る、静かで賑わいがない、人がいるのかいないのか・・・人っ子一人見えない光景であるが、冬(農閑期)であれば当たり前かもしれない。
昏るゝ。るゝは連体形だろうか、縷々、昔から代々の村は今も静かに息づいているに違いないが、それにしても物寂しい風景であり、枯蘆を刈り、簾などにする術は(安価な外国産に押され)すでに廃れてしまったのだろうか。
冬である、村の時代にも冬の季節が到来しているのかもしれない。
時代の流れの中でひっそり佇む村の光景が見えるようである。
参考:『飯島晴子の百句』奥坂まや著
『困難な航海』
ビルボケに付けられた目によって、擬人化となり、誰かの化身になる。
雷が鳴る烈しい荒天の中を彷徨する帆船を見つめる眼。
冥府と現世、亡母と残した息子たち(家族)の精神的な構図。開口は大きく開いており、遮蔽になるべき暗幕も隅に寄せられ、いくつもの覗き窓がある仕切り戸が傍らの壁に放置されている。
この部屋の奇妙は、光が開口部からではなく暗い壁から出ていることである。理不尽、不条理、物理的根拠に欠けた部屋。
ここ(冥府)での人(死者)を増やすことはならないと、放たれた鳩は赤く染められ義手に抑えつけられている。
現世の荒海での航海をじっと見つめる冥府の眼差し。ここはピンクに象徴される安らぎであっても、人の条件である手足や何もかもを失っている。解放された自由であっても、あなたたちのいる現世へは決して行かれません。
マグリットが亡母の眼差しの側から描いた画である。行き来不能の世界、しかし絶対に見ていてくれているという確信、絆。切なすぎる母恋いである。描かずにいられなかったこの絵は、介入禁止かもしれない。
写真は『マグリット展』図録より
魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、また上流の方へのぼりました。
☆語(言葉)を注(明らかにする)講(話)であり、混ぜて考える。
二つが粉(まぎれこんでいる)定(きまり)がある。
幽(死者の世界)では照(あまねく光が当たる=平等)が縷(細く長く連なる)という法(神仏の教え)がある。
こういうとき、女中たちは、ベッドから降りてーベッドは、上下にかさねてあるのです。あそこは、どこも狭くてね、女中部屋とは言っても、部屋全体がじつは三段に仕切った大きな戸棚のようなものですわ。とにかく、わたしたちは、ベッドから降りて、ドアのそばで耳をすまし、うずくまって、おどおどしながら抱きあっているのです。
☆こういうとき、作り話は高まります。(感情の)高まりは一致しています。来世はどこも大変風があります。テーマは固有の作り話ではなく、扇状の三つを大きく結んだものです。わたしたちはその企みに耳を傾け、ひざまずき、不安を抱いているのです。