続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)㊷

2020-06-24 07:36:07 | 飯島晴子

   かげろうに平手打ちしてまはりけり

 蜻蛉(とんぼ)を捕まえようと平手打ちしたけど、空回りしただけだった。

 かげろうは、蜻蛉、蜉蝣、陽炎とある。

1、蜻蛉の場合。
 ショウ・レイと読んで、奨励。
 平手打ちはヒョウ・シュ・ダと読んで、評、殊、駄。
 まはりけり(回)はカイと読んで、改。
☆奨励(賞)だけど、評価では、殊(特別な)駄(価値がない/駄作)とのこと。改(前のものから新たにやり直すこと)ね。

2、蜉蝣の場合。
 蜉蝣はフユウと読んで、富裕。
 平手打ちはヘイ・シュ・ダと読んで、蔽、殊、妥。
 まはりけり(回)はカイと読んで、魁。
☆富裕(お金持ち)だけど蔽(見えないように隠している)殊(特別)妥(穏やか)で魁(大きく堂々としている)。

3、陽炎の場合。
 平手打ちはヘイ・シュ・ダと読んで、弊、殊、堕。
☆妖艶だけど、弊(疲れていて)殊(特別)堕(崩れている)戒(注意すること)ね。


『飯島晴子』(私的解釈)㊶

2020-06-24 07:26:07 | 飯島晴子

   恋ともちがふ紅葉の岸をともにして

 恋ではないけれど、紅葉の岸を二人で歩いた。まるで恋人のように。

 恋はコイと読んで、故意。
 ちがう(違う)はイと読んで、異。
 紅葉はコウ・ヨウと読んで、考、容。
 岸はガンと読んで、眼。
 ともにして(共)はキョウと読んで、協。

☆故意に異(別)の考えを容(おさめた)。
 眼(重要なのは)、協(調子がまとまること)である。


R.M『天才の顔』②

2020-06-24 07:14:35 | 美術ノート

 天才の顔、確かに顔である。しかし、石膏のマスクであり、しかも右の目と左の頬が欠落している。この意味は何か。失ったものは取り戻せないが、再生できるということだとも思えない。
 光なき世界、眼は閉じている。全体、人のように見えるが、人の態を為していない。
 至極不安定なところに置かれ、(そう、人為的に置かれたものである)。

 つまり、天才というものは、人為的な空想にすぎず、人が仮定し得た偶像にすぎない。
 存在するが、存在しない、あくまで人為的な創造であるというメッセージであり、ならば、わたしの想像も許されるに違いない。マグリットの思いである。


 写真は『マグリット展』図録より


『やまなし』16.

2020-06-24 06:40:21 | 宮沢賢治

『どうしたんだい。ぶるぶるふるへてゐるぢゃないか。』
『お父さん、いまおかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒くて尖ってるの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』


☆普く雷(神なり)。
 照(あまねく光が当たる=平等)の講(話)を告げる。
 専(もっぱら)頼るのは、語(言葉)を常に考えることである。


『城』3445。

2020-06-24 06:30:55 | カフカ覚書

それで満足できる人は、おめかしをしたってかまわないでしょう。でも、それ以外はいつも自分たちの部屋にいるか、お役人がたの部屋を掃除しているかです。お役人がたの部屋にきれいな復を着てはいっていくのは、おっちょこちょいのすることで、むだ使い以外のなにものでもありませんわ。


☆それでよいとすれば、恥辱でしょう。でもその上、たえず小さな問題、あるいは大勢の人たちの問題があるのです。いかなる純粋な勢力も、無思慮で無駄でしかありません。