続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)身すがらの。

2020-09-05 07:03:15 | 飯島晴子

   身すがらの鬼すがたかな山百合打ち

 見たまま、赤鬼を連想させ、形が豪快なすがたであることから鬼(大きい)山百合である。
 大いに心を打つ見事な山百合であった。

 身すがらのはシンと読んで、新。
 鬼すがたかな(鬼姿)はキ・シと読んで、奇、試。
 山百合打ちはサン・ヒヤク・ゴウ・ダと読んで、散、飛躍、合、兌。
☆新奇な試み、散(自由に)飛躍させ、合わせて兌(取り替える)。

 身すがらのはシンと読んで、審。
 鬼すがたかな(鬼姿)はキ・シと読んで、麾、司。
 山百合打ちはサン・ヒヤク・ゴウ・ダと読んで、参、飛躍、傲、惰。
☆審(正しいかどうかを明らかにする)麾(指揮/差招く)の司(役目を担当)に参(仲間に入りし)飛躍したが、傲(おごり高ぶり)惰(怠っている)。