続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)朝かげの。

2020-09-09 07:15:30 | 飯島晴子

   朝かげの蛇すぎてゆく段丘かな

 朝かげ、朝日である。朝日が人影を細長く映すところから、恋人のためにやせ細っていく人の姿をいう。この蛇は女人であり、いわく少し歪んだ感情を抱いている。辛くもあり切ない朝かげである。恋の縁(段丘)に迷う蛇である。

 朝かげ(朝影)はチョウ・エイと読んで、寵、永。
 蛇すぎてゆく(蛇過行)はカ・カ・コウと読んで、邪、嫁、講。
 段丘はダン・キュウと読んで、断、糾。
☆寵(特別にかわいがること)は永しえ邪(か)。
 嫁ぐ講(話)を断わり、糾(もつれている)。

 朝かげ(朝影)はチョウ・エイと読んで、懲、曳。
 蛇すぎてゆく(蛇過行)はヤ・カ・コウと読んで、邪、何、功。
 段丘はダン・キュウと読んで、段、救。
☆懲(過ちを繰り返さないようにこらしめること)を曳(ひきずる)邪(や)。
 何(いずれかの)功(仕事)、段(方法)で救(すくい助けること)である。


R.M『美しい虜』

2020-09-09 06:54:43 | 美術ノート

   『美しい虜』

 太く黒く真っ直ぐに立つ樹木の幹、遥か彼方の水平線、十字を切ったような構図である。信仰・・・信じることの美化。
 この遮るもののない長閑な景色の眺望、しかし、よく見るとキャンバスに描かれた絵が左右前後に合致していることに気づく。キャンバスの縁、留め具(クリップ)、三脚の足、それらの線がなければ何の変哲もない風景にすぎない。

 この描かれた絵は実際の風景の一部を被っている、にもかかわらず、まるでつながっていて不自然には見えない。不自然に見えないこと自体が不自然であることを忘れるほどである。
 有り得ない光景である。
 決してこの偶然はないし、視点が動けば合致は即崩壊することは判然としているが、絵そのものは動かない。絵が隠した風景を覗き見ることさえ不可能であり、このままを信じるより他の術はない。

 動かぬ事実、その中に隠蔽されたかもしれない事実は絶対に知ることは不可能である。あるがままを信じるより他の選択はないが、隠されているという事情は疑惑を孕む。
 この絵の事実から決して抜け出せない!『美しい虜』がここにある。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』31.

2020-09-09 06:37:45 | 宮沢賢治

 二人はびつくりして、互によりそつて、扉をがたんと開けて、次の室へ入つて行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方もないことになつてしまふと、二人とも思つたのでした。


☆字の図りごとの語(言葉)は秘(人に見せないように隠している)。
 解(バラバラに離した)字の質(内容)を受ける講(話)は双(二つ)あり、加えた談(話)が現れる記である。
 知(心に感じ取る)図りごとは法(神仏の教え)であり、字が要の試みである。


『城』3493。

2020-09-09 06:22:17 | カフカ覚書

わたしでさえも、感動しました。わたしの注意は、ほんとうはべつのことにむけられていたのですが、そのわたしですらも、感動せずにおれませんでした。


☆ペーピ自身も感動しました。先祖の傷痕を完全に否定できないという、わたしの注意は本当は別のことに通じていたのですが、わたしもまた感動したのです。