続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)幼年の。

2020-09-10 07:21:38 | 飯島晴子

   幼年の息近々とこれは黒蛇

 幼い子供がミミズのようなものを玩んでいる、でもよく見るとこれは黒蛇。
「危ないですよ」の忠告。

 幼年のはヨウ・ネンと読んで、陽、燃。
 息近々とはソク・コン・キンと読んで、即、渾、金。
 黒蛇はコク・ジャと読んで、酷、邪。
☆陽(太陽)が燃える、即ち渾(すべて)が金である。
 酷(容赦なく厳しい)邪(か)。

 幼年のはヨウ・ネンと読んで、要、念。
 息近々とはソク・キン・コンと読んで、促、襟、今。
 黒蛇はコク・ジャと読んで、告、邪。
☆要の念(思い)を捉える。
 襟(心の中)の今(現在)を告げる邪(や)。


R.M『美しい虜』②

2020-09-10 06:51:41 | 美術ノート

 見えているもの、まことしやかに隠されているものの真偽を問う。
 すでに描かれたものには作意が隠されているが、その問題提議に鑑賞者は足を止めざるを得ない。
 見るとは何か、見えているものとの距離は現実か非現実か。絵画作品は現実ではないが訴えがある。その内実に迫ることを要求している。

 作品の景色はキャンバスに描かれた景色により連続を可能にしている。キャンバスの縁や三脚さえなければ普通の光景である。
 違っているのは、この部分だけであるから、それを無視すれば問題は生じない。
 この隠された部分の真偽を鑑賞者は問わずにいられないが、ある意味、自由な空想を可能にする空間である。このままでも通用するが、本来の意味を隠蔽しているのではないかという疑問は残る。
 キャンバスで隠された景色は、隠したという事実によって意味を増幅させ、鑑賞者の想像に委ねられる空間へと移行していくのである。

 全く同じだったかもしれない景色の断片は、隠したという仕組身により、より空間を広げてしまう。隠すことの意味、隠されたものはその部分を基点に世界を反転させる可能性さえ秘めている。


 写真は『マグリット』展・図録より 


『注文の多い料理店』32.

2020-09-10 06:42:51 | 宮沢賢治

 扉の内側に、また変なことが書いてありました。
   「鉄砲と弾丸をこゝへ置いてください。」
 見るとすぐ横に黒い台がありました。


☆秘(人に見せないように隠している)題(テーマ)は即ち、片(二つに分けたものの一方)であり、署(割り当て)は迭(ほかのものと取り換えること)である。
 抱(心にいだく)談(話)の要の質(内容)が現れる。
 往(人が死ぬ/その後)を告げる他意がある。


『城』」3494。

2020-09-10 06:28:52 | カフカ覚書

わたしが奇異に思ったのはフリーダが、じつはほとんど悲しんでいないことでした。だって、彼女の身にふりかかったことは、なんとしても怖ろしい不幸だったんですもの。事実、フリーダはいかにも不幸だというふりをしてはいましたが、そんなことでは効き目はありません。そんなお芝居にだまされるようなわたしではありませんもの。


☆わたしが思ったのは、ほんとうは少しも悲痛ではないということでした。でも、先祖の怖ろしい不運の原因に、彼女は狼狽えたのですがこれは全く十分ではなく、こんな脚色などにペーピ(わたし)はだまされたりはしません。