続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)春の蛇。

2020-09-11 07:25:01 | 飯島晴子

   春の蛇ひとの目鼻はしづもりぬ

 春の蛇、冬眠から目覚めた蛇である。待ち望んだ春への高揚感は、注意が必要な季節の到来への緊張感で抑えられている。

 春の蛇はシュン・ジャと読んで、悛、邪。
 ひとの目鼻(人目鼻)はジン・モク・ビと読んで、腎、目、備。
 しづもりぬ(静)はジョウと読んで、常。
☆悛(あらためる)邪(や)。
 腎(重要な)目(ねらい/観点)は備(あらかじめ用意してある)、常に。

 春の蛇はシュン・ジャと読んで、峻、邪。
 ひとの目鼻(人目鼻)はジン・モク・ビと読んで、尽、黙、微。
 しづもりぬ(静)はジョウと読んで、状。
☆峻(厳しい)邪(か)。
 尽きたことを黙っている。
 微(衰えた)状(ありさま)である。


R.M『人間の条件』

2020-09-11 06:40:55 | 美術ノート

   『人間の条件』

 室内からの窓外の景色を眺めた作品。違って居るのは窓外の景色にぴったり合致した描かれた景色が手前にあり、二重の構造になっていることである。
 もちろんそんな必要はないが、そこに「人間の条件」の所以があるらしい。

『人間の条件』とは何だろう。あるがまま、即、人間だと認識しているから、改めて問われると戸惑ってしまう。人間としての機能だろうか、否、もっと本質的な観点としての問題提議である。

 存在は、そこに見えるものを言うのだろうか。見えるものは更に見えていないものを隠す。たとえば今現在見えているものは、今少し前の時空を隠している。
 時間を遡れば、時空にはズレが生じるが、それを感じることはできない。できないが、データを取り、比較するということはできる。あるいは策謀を駆使してその差異を言及するという思考がある。

『人間の条件』とは、見えている現今をに疑惑を持ち、本質をどこまでも追究しようとする眼差しがあることである。


 写真は『マグリット』展・図録より

 


『注文の多い料理店』33.

2020-09-11 06:24:28 | 宮沢賢治

「なるほど、鉄砲を持つてものを食ふといふ法はない。」
「いや、よほど偉いひとが始終来てゐるんだ。」
 二人は鉄砲をはづし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。

☆徹(貫き通す)法(神仏の教え)を示す自記である。
 方(手立て)の意(考え)は、詞(言葉)で修(整える)。
 頼りにするのは、字の図りごとである。
 迭(ほかのものと取り換える)方(やり方)の他意である。
 秘(人に見せないように隠す)は皆(すべて)他意の章の質(内容)である。


『城』3495。

2020-09-11 06:12:27 | カフカ覚書

では、どうしてあんな毅然とし態度をしていられたのでしょうか。新しい恋の幸福のためでしょうか。そういうことはとても考えられませんでした。そうでないとすれば、なんだったのでしょうか。そのときすでにフリーダの後釜になると目されていたわたしにたいしてでさえ、いつもとおなじような冷ややかな親愛さを見せるだけの力を彼女にあたえたのは、なんであったのでしょうか。


☆どうして平気でいられたのでしょう。新しい恋人との幸運のためでしょうか。
 これらは死への疑問です。もし、そうでなければ、何なのでしょう。当時すでに彼女の後継者とされていたペーピでさえ、冷静で親密な気力を与えられていたのです。