続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)仏らに。

2020-09-14 07:11:57 | 飯島晴子

   仏らに朝日を与へうねる蛇

 仏ら(死人)に朝日(蘇生)を与へ、うねる蛇?
 これは地上の話ではない。天上…天空にうねる蛇の話ではないか。
 へびつかい座のアスクレピオスはギリシャ第一の神医であり、死人(仏)までをも生き返らせる(朝日を与へ)という神話からだと思う。夏の夜、見上げると確かに蛇は長くうねっている。

 仏ら(仏等)はブツ・トウと読んで、物、討。
 朝日はチョウ・ジツと読んで、調、実。
 与へうねる蛇(与畝蛇)はヨ・ボウ・ジャと読んで、予、謀、邪。
☆物を討(問いただし)調べる実(内容)がある。
 予(あらかじめ)謀(計画している)邪(や)。

 仏ら(仏等)はブツ・トウと読んで、仏、謄。
 朝日はチョウ・ジツと読んで、帳、昵。
 与へうねる蛇(与畝蛇)はヨ・ボウ・ジャと読んで、誉、眸、邪。
☆仏を謄(書き写す)帳(ノート)を眺める。
 昵(慣れ親しむこと)を誉(褒める)眸(眼差し)邪(か)。


R.M『人間の条件』②

2020-09-14 06:36:20 | 美術ノート

『人間の条件』、人が人たり得ること。
 室内から見た窓外の景色、その一部は絵に描かれた副次的な景色であるが窓外に見た景色に連なりあたかも一致しているように描かれている。これは有るようでいて有り得ないことである。
 しかし百歩譲って、有ると仮定する。

 対象(窓外の景色)と対象を描いた偽空間(二次元)の合致に、鑑賞者の眼差しが合意する、納得するときの妙な違和感の残影。
 譲歩、無理に納得を承諾する精神の揺らぎである。

 人間は完全を希求するが、不完全を承諾し、疑惑を追及し得ない。やり過ごすのである。その曖昧な受諾は慣習化され、記憶の中にすら霧消していく。
 人の目は完全ではない。見えるものをそのまま受け入れる傾向を否定できない。由とするのである。

 見たものに疑惑を持たず信じることを優先し、それを善とする情報処理能力、その裏切りを発見する前衛の精神。
 見えることと隠されたものを見出すことの眼差し。
『人間の条件』とは曖昧さを回避し、真偽を見抜く眼差しにある。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3496。

2020-09-14 06:12:33 | カフカ覚書

そのときのわたしは、この問題について十分に考えてみる時間がありませんでした。新しい地位につくための下準備でてんてこ舞いをしていたからです。


☆ペーピ(わたし)は当時、よく考えてみる時間がありませんでした。新しい場所(星)への準備に多くの時間を取られていたからです。