続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)城跡に。

2020-09-17 07:28:32 | 飯島晴子

   城跡に赤き蛇ゐてやさしき父

 城跡、幻の時空を秘めた場所である。赤き、情熱的な女人といっしょにいる。
 いつもとは異なる父の顔があり、気遣い優しい父であった。

 城跡はジョウ・セキと読んで、常、昔。
 赤き蛇ゐて(赤蛇居)はセキ・ジャ・キョと読んで、責、邪、距。
 やさしき父(優父)はユウ・フと読んで、友、訃。
☆常に昔を責める邪(や)、距(へだてた)友の訃報。

 城跡はジョウ・セキと読んで、冗、積。
 赤き蛇ゐて(赤蛇居)はセキ・ジャ・キョと読んで、析、邪・虚。
 やさしき父(優父)はユウ・フと読んで、友、腑。
☆冗(無駄なこと)が積(積み重なるので)析(分けることで事柄を明らかにする)邪(や)。
 虚(うわべだけ)の友の腑(心の中)。


R.M『永遠の明証』

2020-09-17 06:47:51 | 美術ノート

   『永遠の明証』

 永遠、絶対、普遍の明証であるという。作品は裸婦を五つに分解、それぞれをフレームに収め順次人の形に位置させて掲げている。
 まるでカードを正しく並べたような仕上がりであり、肉体の要素を欠落させている。触ったり、抱いたりという行為も無為である。
 裸婦でありながら肉感を感じず、冷めた標本のようでもある。切断された時点で精神的な要素は失われ、物と化している。乳房や恥部はありありと見え、曝されている。
《これが女体であり、人間である》と正面切って告白しているが、(恥ずかしいという感情)が希薄である。恥毛が描かれているので猥雑という観点は明白であるのに、どこか隔たりがある。

『永遠の明証』、女体である、母である。母以外の人から生まれた人間は皆無である。聖なる明証、この裸婦こそが命の根源であり、他にない。
 人は切り離されたものをつなぐ、切り離された時空は、そう見えるだけであって見えるものの切断は常に修復されて脳に刻まれる、それが『永遠の明証』である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』37.

2020-09-17 06:40:22 | 宮沢賢治

扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちやんと口を開けて置いてありました。鍵まで添えてあつたのです。


☆秘(人に見せないように隠している)奥(奥義)を告げる。
 図りごとの律(決まり)を把(手につかむのは)襟(心の中)で個(一つ一つ)に向かい皆(すべて)の質(内容)を験(調べ)伝える。


『城』3499。

2020-09-17 06:27:04 | カフカ覚書

ところで、下ごしらえは、部分的にはうまくいきました。わたしは、髪をカールするのが特別に上手でした。一度などは、お内儀さんの髪をカールするために呼ばれたこともあったほどですわ。生まれつき手が器用なんです。それに、髪の毛がふさふさしているので、いくらでも好きな恰好にととのえることができました。


☆ところで、部分的には成功しました。わたしは馬鹿げた考えを作る珍しい素質があり、先祖の傷痕のある女主人(言葉)もそのままにし、馬鹿げた話を作り上げました。彼女の手によれば容易にできるのです。もちろん、美しい話なのでどのようにも望みを届けることができるのです。