やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ
生後間もない赤子は、両手の平に乗りそうであるほどに小さい。それが日増しに大きくなっていく。驚くばかりであるが、この作家は《やつと》と言っている。日々愛しみ、時を刻んで《やつと》の思いに至っている。やっと茶籠に納まるほどに大きくなってくれたという慈しみの感慨である。眠らされ、客観的であるのは、わが子ではなくお孫さん、あるいは親しい関係の景かもしれない。
大きい茶籠はタイ・チャ・ロウと読んで、泰、茶、朗。
いつしよに(一緒)はイツ・ショと読んで、逸、庶。
眠らされはミンと読んで、民。
☆泰平(ゆったりしていて)茶(お茶目)で朗(曇りなく明るい)逸(気楽な)庶民。
大きい茶籠はタイ・サ・ロウと読んで、他意、査、労。
いつしよに(一緒)はイツ・ショと読んで、逸、諸。
眠らされはミンと読んで、見ん。
☆他意を査(調べると)、労(ほねおり)が逸(隠れている)。
諸(もろもろ)見ん(見て下さい)。