続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

何はともあれ。

2020-10-14 09:11:29 | 日常

 起きたらブログ、朝食、そしてラジオ体操(8:45~)、後はフリーの生活である。
 今回のカードの満了はずいぶん日数がかかった。2月3日~3月28日。3月29日~(コロナで中止)、6月3日からは、7月のお盆、8月の旧盆そして9月のお彼岸を挟んだ。(公園墓地なので)
 やっと10月12日で最後の判子。

 係の方のご好意で記念の品がもらえる。それが今のわたしには最高のご褒美、ダイソーの品が輝く表彰状の老人生活。続けられることが幸福だと感謝している。

 


『飯島晴子』(私的解釈)冬の虹。

2020-10-14 07:24:00 | 飯島晴子

   冬の虹ぬきさしならぬかのやうに

 冬の虹は時雨の空や荒海の暗い海から立ちあがったりするという。
(思いつめた二人の心中、あの虹の橋を渡ったのではないか)などと、思いを馳せてしまう。そんな情念が冬の虹にはある。

 冬の虹はトウ・コウと読んで、套、講。
 ぬきさしならぬかのように(抜・差・様)はバツ・サ・ヨウと読んで、抜、査、容。
☆套(おおった)講(話)を抜(ぬき出す)と、査(調べる)容(中身)がある。

 冬の虹はトウ・コウと読んで、盗、稿。
 ぬきさしならぬかのように(抜・差・様)はバツ・サ・ヨウと読んで、罰、沙、様。
☆盗んだ稿を罰(懲らしめ)沙(より分ける/取り除く)様(方法)がある。


R.M『自由の入口で』

2020-10-14 06:47:42 | 美術ノート

   『自由の入口で』

『自由の入口で』ということは、こちらは自由でないエリアということなのか。
 一見すると、鑑賞者はどこに立っているのかと錯覚するほど壁(平面)ではなく偽空間そのものである。描かれた天井、描かれた床面、正面・左右のパネルはそれぞれマグリットの作品であり集合である。

 マグリットの目指していた世界は即ち『自由』への解放、束縛の霧消にあり、それぞれはその断片だったのかもしれない。それぞれにはマグリットの執念が込められている。
 マグリットの思いの集積。それらが自分の中で観念化してはいないか、という疑念、それらを用意された砲台で一撃する。
 爆破という《大いなる肯定》こそ、自由への扉である。見出した、見出された思いに執着しないこと。
『自由の入口』は、常に自身の目の前にある。自身の作品(信条)への突撃、この一線が自身(マグリット)の最大の課題であったかもしれない。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』54.

2020-10-14 06:28:02 | 宮沢賢治

と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきよろきよろ二つの青い眼玉がこつちをのぞいてゐます。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
 ふたりは泣き出しました。
 すると戸の中では、こそこそこんなことを云つてゐます。


☆諸(もろもろ)結(バラバラなものをむすびつける)、字の章である。
 要は霊(死者の魂)を究め、推しはかることである。
 個(一つ一つ)を注(書き記し)運(めぐらせている)。


『城』3516。

2020-10-14 06:16:27 | カフカ覚書

実際、すべりだしは、なかなかうまくいったのです。必要な手管や知識は、もとから見たり聞いたりして心得ていました。酒場に出るやいなや、すぐさま勝手に通じてしまいました。

☆大変うまくいったのです。少しばかり仕事のコツや必要な知識は以前から経験してわかっていました。酒場(死の入口付近)に行くや否やすぐに慣れることが出来ました。