薄氷をつつと一禽つつつつと
ゆりかもめ、まがも・・・鳥が薄氷の上をつつつつ…と走るのを見た、飛ぶのでも泳ぐのでもない移動の様子、奇妙に美しいさまである。
薄氷はハク・ヒョウと読んで、魄、平。
一禽はイツ・キンと読んで、逸、金。
☆魄(精神)の平(平等)は逸(優れている)。
金(尊)である。
薄氷はハク・ヒョウと読んで、駁、表。
一禽はイツ、キンと読んで、逸、襟。
☆駁(混じったもの)が表れる。
逸(隠れたもの)は襟(心の中)である。
薄氷をつつと一禽つつつつと
ゆりかもめ、まがも・・・鳥が薄氷の上をつつつつ…と走るのを見た、飛ぶのでも泳ぐのでもない移動の様子、奇妙に美しいさまである。
薄氷はハク・ヒョウと読んで、魄、平。
一禽はイツ・キンと読んで、逸、金。
☆魄(精神)の平(平等)は逸(優れている)。
金(尊)である。
薄氷はハク・ヒョウと読んで、駁、表。
一禽はイツ、キンと読んで、逸、襟。
☆駁(混じったもの)が表れる。
逸(隠れたもの)は襟(心の中)である。
『心のまなざし』
物理的視界ではなく精神的視界。
物(対象/世界)を見ることの不確実性、見ているが、見ていないことの同時性。見ることは、ある意味情報の整理であり、過去に見てきたことの観念の積み重ねである。
山を見れば、木々の春夏秋冬、葉や樹木の質感、風や土の匂いなどを総合的に関知するが、事細かにその説明なくして単に山の景色を見る、見ていると思いこんでいる。
《まなざし》は、物理的に物を投影させえる器官であるが、そのまなざしを作用させているのは脳であり、心である。
《心のまなざし》の在り様の説明は難しい。しかし、常に多くを孕み、それらは膨張し不安定この上ないほどに揺らぐ。ああではないか、こうではないかという妄想が崩壊を余儀なくされるまで続くのである。ただし、その葛藤は瞬時の火花であって《無》にも等しいことの方が圧倒的に多いので自覚に至るまでには霧消してしまう。
近視眼的に物(対象/世界)を見る、そのずっと向こうに《真理》が控えている。
見ることのずっと向こうに潜んでいる真理は心のまなざしに隠されている。内包していると換言してもいいかもしれない。
《心のまなざし》は常に真理の手前で早急に対象を把握する。危険なほどの構築、危うい錯覚(錯視)によることを、たいていの場合、気づいていないが、それが《心のまなざし》である。
写真は『マグリット』展・図録より
「呼ばうか、呼ばう。おい、お客さん方、早くいらつしやい。いらつしやい。いらつしやい。お皿も洗つてありますし、菜つ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜つ葉をうまくとりあはせて、まつ白なお皿にのせる丈けです。はやくいらつしやい。」
☆個(一つ一つ)を顧(省みて)書く。
法(神仏の教え)は総て新しく宣べる済(救い)である。
様(ようす)を掩(隠した)質(内容)は済(救い)が要であると吐く。
新しさは常(変わることがない道理)である。
それに、売り上げも、平均してフリーダのときよりいくらかふえていました。わたしは、いままでとやりかたを変えました。
☆(死の)入口はフリーダのときよりも平均して広大になっていました。すでに全てに於いてです。彼女は先祖の改革を導いたのです。