続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈) 蝙蝠の。

2021-01-08 07:02:01 | 飯島晴子

   蝙蝠の時刻赤子の白づくめ

 蝙蝠の時刻である夜に、白づくめの赤子(妖怪)が出たという景。
(黒・赤・白)のコントラストが、読解により《黒と白》に移行するという彩色の変化、抽象世界である。

 蝙蝠はヘン・フクと読んで、遍、覆。
 時刻はジ・コクと読んで、事、告。
 赤子はセキ・シと読んで、析、旨。
 白づくめ(白尽)はハク・ジンと読んで、吐く、尽。
☆遍(もれなく)覆(ひっくり返る)事を告げる。
 析(分けることで事柄を明らかにする)旨(考え)であると吐く、尽(ことごとく)である。

 蝙蝠はヘン・フクと読んで、篇、複。
 時刻はジ・コクと読んで、辞、刻。
 赤子はシャク・シと読んで、釈、詞。
 白づくめ(白尽)はハク・ジンと読んで、迫、腎。
☆篇(文章)は複(二つ以上重なる)辞(言葉)を刻んでいる。
 釈(意味を解き明かす)詞(言葉)に迫ることが腎(大切)である。


R.M『光の帝国』④

2021-01-08 06:37:44 | 美術ノート

 青空と夜景は決して結びつかず、矛盾というより亀裂である。全く異なる時空の並置、これは自然に対抗、逆らう構図かも知れない。
 立派な建物、明かりを所有するという人智、人びとは満たされている。文明の力である。

 しかし、帝国社会での自由はいかほどのものか…精神の照度を測ったら自然に比して仄明るいという程度の闇ではないかという査定である。本当の自由(自然)は保証されていないが、静かに沈黙を通しているという情景に見える。個人の思惑ではなく、社会全体を客観的に見た景色に違いない。帝国社会を批判するでもなく反旗を翻すというのでもない。従順に肯定し、その勢力下の恩恵に暮らしを続行させている。ただひとたび何か(戦争)があれば、従軍にならざるを得ない律と立場の上での暮らしである。

『光の帝国』の夜は平穏である。夜が明ければ、精神の闇(夜)の圧が重くのしかかるかもしれない。光の帝国は自然(自由)を冒涜する横柄さを所有する翳りがあるが、ここに反撃はなく、沈黙による精神の冷静さが昼と夜の光景を時空を超えて並置させている。即ちこれは告発を潜ませている。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3568。

2021-01-08 06:26:16 | カフカ覚書

こうして、前門の虎、後門の狼となって、まさに進退きわまろうとしたとき、あなたがお人好しにも最後の狭い逃げ道だけをあけておいておやりになったばかりに、フリーダは、そこから逐電してしまったのです。


☆このどちらも危険な中で、Kが自身の単純さのため、すでに正式に死に、さらに閉じたものを、最後の狭い道を自由(解放)にして、通り抜けたのです。