続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)これ着ると。

2021-01-13 07:23:30 | 飯島晴子

   これ着ると梟が啼くめくら縞

 めくら縞、紺染めの綿糸で織った平織りの布、渋く、いかにも暗い。まるで闇夜を連想させる着衣に、梟が啼くだろうという発想。

 これ着ると(此着)ハシ・ジャクと読んで、姿、若。
 梟が啼くはキョウ・テイと読んで、驚、態。
 めくら縞(盲縞)ハモウ・コウと読んで、猛、光。
☆姿が若いので驚く。
 態(ありさま)は猛(強く)、光(輝いている)。

 これ着ると(此着)ハシ・ジャクと読んで、死、寂。
 梟が啼くはキョウ・タイと読んで、恐、体。
 めくら縞(盲縞)はモウ・コウと読んで、亡、恒。
☆死は寂しく恐ろしい。体が亡(滅びる)恒(常)がある。 


R.M『幕の宮殿』

2021-01-13 06:41:58 | 美術ノート

   『幕の宮殿』

 幕、覆い、カバーであり、宮殿は皇帝の住まい。宮殿の幕ではなく幕の宮殿・・・宮殿そのものが矮小化するイメージ、そして意味が霧消しているとも言える。
 イメージする宮殿はどこに描かれているのか、

 室内であり、床板と壁、そこに変形のフレームが六枚、その物自身が壁と平行に立っているように見えるが、それぞれのフレームが林立することなどあるだろうか。きわめて異常事態の光景である。
 何気ない、何事も起きていないように見える平然、しかし奇妙というより物理的にあり得ない現象である。

 フレームの中に描かれたものは、馬の鈴(伝説・風評・口伝)、森の自然、空の普遍、そして漆黒の闇が三枚のパネルをつなぐ位置に置かれている。この意味は何だろう。
 歪んだフレームの自立の滑稽、嘘、虚偽の時空である。
『幕の宮殿』は、自然をも配下に置くような暴挙と馬の鈴にみられる命令/支配があり、虚偽の時空、幻想が慎ましやかなパネルと化して鎮座する光景そのものである、という告発に等しい。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3570。

2021-01-13 06:29:00 | カフカ覚書

スキャンダルによって以前よりも魅力を増し、身分の最も低い人たちからも最も高い人たちからもはげしい欲情の眼で見られ、ほんのしばらくのあいだだけ身分のいやしい男の手に落ちたが、すぐにその男をしかるべく突き離し、今はふたたびその男にもすべての人びとにも手のとどかない存在になってしまったというわけです。


☆醜聞によって魅力を増し、低い人たちからも高い人たちからも熱望され、瞬時滅亡しましたが、それを押しのけ総てに対して到達しがたいものになったのです。