続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)山川の。

2021-05-17 07:06:42 | 飯島晴子

   山川の口よせに乗るをとこへし

 山川はサン・センと読んで、算、詮。
 口よせに乗る(口寄乗)はコウ・キ・ジョウと読んで、講、企、剰。
 をとこえし(男郎花)はダン・ロウ・カと読んで、談、浪、果。
☆算(見当をつけて)詮(明らかにする)。
 講(はなし)の企(くわだて)は剰(多すぎて)、談(話)に浪(無駄な)果(結末)がある。

 山川はサン・センと読んで、燦、船。
 口よせに乗る(口寄乗)はコウ・キ・ジョウと読んで、航、帰、状。
 をとこえし(男郎花)はダン・ロウ・カと読んで、弾、浪、佳。
☆燦(きらきら光る)船で航(水面を渡り)変える状(ありさま)は、弾(はじける)浪(なみ)が佳(美しい)。

 山川はサン・センと読んで、散、千。
 口よせに乗る(口寄乗)はコウ・キ・ジョウと読んで、考、記、常、
 をとこえし(男郎花)はダン・ロウ・イと読んで、団、労、異。
☆散(バラバラにして)千(たくさん)の考えを記す。
 常に団(丸く収める)労(ほねおり)は異(普通でないありさま)がある。


若林奮『1-4-2』

2021-05-17 06:40:04 | 美術ノート

   『1-4-2 後からの試作Ⅰ』

 角柱に丸い穴がそれぞれ定位置に開いている。一本の角柱は何を暗示しているのかは不明であるが正確に積まれて線状のものでくくられ固定されている。
 相応の重量があるが、浮いているように見える。つまりこの物には重さ、質量がないということであり、見えているものは仮想である。

 見えるものに置換している以上、主張がある。
 消失した過去の時空・・・消失はなく過ぎ去った時間・空間・存在者との関係性の表明。
 文字による記録ではないから意味の具体性は欠如しており、物的証拠からも外れている。作家の見識の総合的な答えは独自の感性によるもので万人が一致し肯定するものではないかもしれない。

 しかし、触覚、視覚をもって存在する物質に置き換える試作は、作家の究極の見解であるに違いない。
 まず言えることは、これら過去の時空の総合はある種の質量を持っているが、その質量(重量)は宙に浮き、移動が可能だということである。つまり《有るが無い》という仮想領域に位置するものである。
 目の前の抵抗、否、後ろから押してくるある種の威圧、決して消えることのない史実の重さ、抵抗の感触である。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3652。

2021-05-17 06:03:17 | カフカ覚書

ペーピは、Kから勘定をもらうのだという口実のもとに彼のそばへとんできた。了解は、すぐについた。Kが中庭の勝手を知っていたので、話はきわめて簡単だった。中庭には、脇道へ出る門口があるが、この門口の横に小さなくぐり戸があった。ペーピは、いまから一時間ほどしたらこのくぐり戸の内側で待っていて、三度戸をたたいたらあけてあげるということになった。


☆ペーピは自ら目印をもらうのだという口実の下に、素早く説明をした。非常に簡単でハロー(光臨/死の入り口)を案内する道があり、傍らには小舟の小さい入口があった。ペーピが、先祖との階層にとどまっていると、遮るものがないような劇的緊張が走った。