続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)眺むるや。

2021-05-21 07:16:34 | 飯島晴子

   眺むるや一草となる仏の腹

※眺めていると、人は(みんな)相違(それぞれ違った個性を持っている)という仏の腹(心の中が見えてくる)。

 眺むるやはチョウと読んで、長。
 一草となる(一草為)はイツ・ソウ・イと読んで、逸、相、畏。
 仏の腹はブツ・フクと読んで、払、腹。
☆長く逸(隠れる)相(ありさま)は畏(怯え)を払う腹(心の中)である。

 眺むるやはチョウと読んで、帳。
 一草となる(一草為)はイツ・ソウ・イと読んで、溢、総、意。
 仏の腹はブツ・フクと読んで、打つ、副。
☆帳(ノート)は、溢れる総ての意(思い)を打つ(大いに語る)副(控)である。

 眺むるやはチョウと読んで、鳥。
 一草となる(一草為)はイツ・ソウ・イと読んで、逸、巣、囲。
 仏の腹はブツ・フクと読んで、払つ、覆。
☆鳥が逸(逃げた)のは、巣の囲いを払(はらい除け)覆(ひっくり返したから)である。


若林奮『1-4-p2』

2021-05-21 06:39:17 | 美術ノート

   1-4-p2(地表面の耐久性について)

 地面の上に設置された金属板、鋲のようなものが打ち付けられている。トンネル状に続く半円形の突起、それを抑えるかの直方体の突起、前後にはそれらを内包した突起・・・。
 この作品の前に立つと、自分が巨人になったような不思議な感覚に襲われる。世界を俯瞰するような極めて工業的な殺伐とした光景である。地表といいながら有機物(生物)がなく、全体無機的な冷たい乾いた空気感に覆われている。

 しかし、耐久性とある。
 耐久性、どんなに地下深く堀りさげ抑えても地表面の平安を維持できるものだろうか。地表面に打ち付けた鋲は頑強に見えても大地(地球を覆う地表面)の変動に太刀打ちできないのではないか。

 大地(地球)と人智(人間)の拮抗、その可能性は低く脆いものではないか。
 この作品の頑強さを眺めながら、むしろ人間のひ弱さを感じてしまうのはなぜだろう。
「人とは何か」
 この作品の時空を徘徊する小さな蟻の連帯、否、もう見えないほどの卑小さにしか感じえず、鑑賞者は巨人の傲慢さから風に飛ぶ微塵へと変貌を余儀なくされる感覚に襲われるのである。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3656。

2021-05-21 06:20:51 | カフカ覚書

 帳場は、こじんまりとした部屋で、暖房がききすぎていた。狭いほうの壁ぎわには、立ち机と鉄製の金庫があり、長いほうの壁ぎわには、衣裳箪笥と長椅子が置いてあった。


☆テーマの氏族の熱意。狭い壁ぎわには先祖の不動の監禁、長くさまよった排他的社会層と社会から追放された人たちの要塞があった。