続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)濛々と。

2021-08-05 07:15:44 | 飯島晴子

   濛々と鯉の重なる黄帷子かな

 濛々とはボウ・モウと読んで、某、妄。
 鯉の重なるはリ・チョウと読んで、詈、調。
 黄帷子はコウ・イ・シと読んで、荒、為、肆。
☆某(なにがし)は妄(節度がない)と、詈(ののしる)。
 調べると荒(でたらめな)為(行い)の肆(勝手気まま)がある。

 濛々とはボウ・ボウと読んで、謀、暴。
 鯉の重なるはリ・チョウと読んで、裏、帳。
 黄帷子はコウ・イ・シと読んで、考、依、詞。
☆謀(はかりごと)を暴(あばく/明らかにする)。
 裏の帳(ノート)に考えを依(頼りにする)詞(言葉)がある。

 濛々とはボウ・ボウと読んで、茫、昴。
 鯉の重なるはリ・チョウと読んで、離、眺。
 黄帷子はコウ・イ・シと読んで、光、威、視。
☆茫(ぼんやりしている)昴(すばる)の離(はなればなれ)、眺める光の威(厳か)を視(気をつけて視る)。(昴は六連星)

 鯉の重なるはリ・チョウと読んで、裏、兆。
 黄帷子はコウ・イ・シと読んで、候、縊、死。
☆濛々(はっきり分からないが)、裏(物事の内側)の兆候では、縊死(首をくくって死ぬ)ではなかったか。

※記帷子(キビラ)は、晒していない麻織物。


D『自転車の車輪』3。

2021-08-05 06:52:57 | 美術ノート

 始まりも終わりもない循環、巡る月日、46億年の世界の刻み、繰り返される太陽と地球の関係、太陽系の輪は常に自転車の車輪に等しく存在し時空を刻んでいる。始まりは確かにあったかもしれないが、決定的な証明も解明されぬまま、ひたすら時は巡っている。

 わたしたちは今どこにいるのだろう。車輪を回転させると車軸は見事に消失してしまう。存在するが、認識の困難な時空の膨大な重なりの中の一刹那である。

 自転車の車輪は想像を飛躍させる器具に過ぎないが、世界は酷似、相似形である。この極小を回転させる愉快は小さな創造者たりうる。デュシャンの痛快な思い付きは、しかし、ひっそりと内密な遊戯と化し、触れる手に快感を走らせるに違いない。

 思い(想像)と現実は遠く離れているが、結び付けるツールの発見は楽しい。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』1。

2021-08-05 06:13:37 | 宮沢賢治

   『セロ弾きのゴーシュ』

 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手ではないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたからいつでも楽長にいぢめられるのでした。

☆セロ弾きのゴーシュ、G・S は Global spirit(地球の精神)。ゴーバー(global)ともテーシュー(地球の精神/TikyuunoSeisinn)とも考えたらしい。
 セロはゼロ(O₂)、酸素を出す(弾き)『地球の霊』である。
 楽長は太陽、確かに地球は太陽にいつでもいぢめられている、と思う。