続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)実南天。

2021-08-28 06:28:36 | 飯島晴子

   実南天赤子のいのちすこし減り

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、実、難、展。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、惜、疵、明。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、昭、厳。
☆実(中身)に難(欠点)、展(開く)と惜(残念な)疵(きず)がある。
 明らかに昭(見比べる)と厳しい。

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、昵、楠、展。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、昔、子、迷。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、象、現。
☆昵(慣れ親しんだ)楠(くすの木)を展(かえりみる)。
 昔、子(子供))が迷ったとき、象(しるし)として現われた。

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、実、納、店。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、夕、覗、明。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、照、現。
☆実(果物などの実)を納めた店を夕べに覗くと、明るく照らされ現れた。

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、昵、軟、甜。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、赤、子、明。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、笑、現。
☆昵(なれ親しむ)軟(やわらかく)甜(あまい)赤子(赤ん坊)。
 明るい笑みが現れる。


『飯島晴子』(私的解釈)紅蕪。

2021-08-28 06:08:55 | 飯島晴子

   紅蕪仏ごころを幾重にも

 紅蕪はコウ・ブと読んで、光・武。
 仏ごころ(仏心)はブツ・シンと読んで、仏、信。
 幾重はキ・チョウと読んで、記、帳。
☆光(かがやく)武(強い)仏を信じ、記帳した。

 紅蕪はコウ・ブと読んで、荒、蕪。
 仏ごころ(仏心)はフツ・シンと読んで、払、森。
 幾重はキ・チョウと読んで、記、帳。
☆荒蕪(荒れ果て雑草が生い茂ること)を払う。
 森は貴重である。

 紅蕪はコウ・ブと読んで、考、部。
 仏ごころ(仏心)はブツ・シンと読んで、物、新。
 幾重はキ・ジュウと読んで、記、事由。
☆考(調べて)部(区分けした)物(事柄)は、新しく記(書きとどめる)事由(わけ)がある。