《葡萄摘みの月》
葡萄摘みの月、夏から秋にかけての季節を言っているのだろうか、ひどく暗い印象の絵であり、収穫期の喜悦がない。
暗い室内には何もなく、カーテンでさえも遮蔽の暗示があるのみである。
同じような男の整列、増殖と言った方がいいかもしれない。数は力であり、脅威とも思えるが、彼らは一体何を見てるのだろう。
室内という限定された空間は、自身の胸裏(内なるもの)なのだろうか。数多の眼差しは攻撃・反乱・暴力などの圧力を感じさせるが、少なくとも親和的な友好は希薄である。
空は曇天であり、光差す景ではない。
葡萄…同じような粒が連なっている果実であり、摘むという収穫は葡萄にとっての最期でもある。
同じ面相の男たちの限りなく増殖している景は、個人の特質の抹殺であり人権の侵害である。
《葡萄摘みの月》は、押し並べて形骸化されてはならない、という強い抗議ではないか。
《人間は葡萄に非ず》という逆説である。
(写真は『マグリット』東京美術より)
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