角砂糖型の大理石は原石の加工であり人の手が加わった画一化された個々である。
イカの甲は天然自然の末路であり、温度計は自然との関わりを叡智によって計るものである。
角砂糖型の大理石の単一、どこをとっても同じく培われた観念であり、必然である。
イカの甲の天然は偶然の産物であり、あるがままの態である。温度計を差し入れたのは一種のジョークかもしれない、つまり温度差というメッセージである。
そして鳥かごという狭くも区切られた空間、出口も空いており周囲も見渡せる、しかし、出るという意思のない物にすぎない哀愁。この光景は悲惨でもなく幸福でもないが、条理を外している。前提条件は(鳥かご)であれば、鳥の不在に違和感を覚える。
鳥の不在、鳥が世界を明け渡しているとも考えられる。しかし、鳥は自由に飛び回り、鳥かごの不自由を笑っているかもしれない。少しずつ当たり前(観念)を外したこの状況の居心地の悪さは、心理的な、あるいは直感としての外的刺激を孕んでいる。
物が偶然収められているように見える景色はデュシャンの必然的な行為である。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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