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『凌辱』
女体のトルソーを、乳房は目・臍は鼻・陰部が口というように顔を想起させるものとして描いている。
即ち、凌辱である。怒り心頭、女性の性を露わにして眺め尽すという暴挙は耐え難い。女性に恥をかかせた暴力的な犯罪でさえある。女性の性を犯す…どういう意味があるのだろう。
醜悪・怪奇である女体が無限に見える空間(景)のなかにある。
しかし、恥ずかしさはなく、堂々と誇らしげである。澄み切った青空、どこまでも続く地平…ヴィーナスの誕生とも思える出現は、威風堂々、人間としての尊厳を誇示しているかのように見える。
凌辱…犯されるのではなく、見る者を犯すような脅威も感じられる。女体は犯されるものだったろうか。
犯されるものであるという古い想念からの解放、隠すことなくわたくしは在るという尊厳の主張、(この通りのわたくしであります)という宣言ではないか。
マグリットは、男の側からの凌辱を跳ね返す女の側の主張を潜ませたのである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
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