Ⅲ-2-1〔無題〕
上面が四角形の立方体、その上に三角の内部が均等に膨らんだ金属板、その三つの角の三つの突起、棒のようなもの二本と仏像めいたものがあり、それぞれ明確な形を刻むことなく曖昧な、しかし明確な主張をもって配置されている。
三・・・三は動かしがたい数字であり強度を持つ形である。三界、三世、過去・現在・未来の時空etc。
三つの配置を認識した途端それらを想起するのは、自分の中の知識、経験上のデータ、歴史などの誘因に違いない。全くの無の状況でこの作品を見るべきだろうか。ヒントを黙している、説明がない。
ただそのことによる広がり、夢想はある。まず、この形を否定できないが、感触は無機的で冷たく言葉による誘いもない。
無造作に見える三態、その位置、台座の厚み、抜き差しならない空気感、緊張。凝視していると、これは無造作ではなく厳密に図られたものだという気がしてくる。
目に見えない存在の具象化である。あらゆるものを剥ぎ取ったのちの残存。あるいは太陽・月・地球の関係、父・母・子の関係。有機(木)と無機(金属)の関係。
時間が経てば劣化、崩壊しうる世界の無常、質疑応答、答えのない緊密な関係への挑戦かもしれない。
写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます