続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Re『武蔵野』211。

2011-02-25 06:33:07 | 国木田独歩
  七
 自分と一所に小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行ているが、自分の前号の文を読んで次の如くに書て送て来た。

 七自分一所小金井堤散歩朋友今判官地方行自分前号文読次如送来

☆死地
 侍の憤りが溢れている。諸の象(すがた)が混じり、異なる体(ありさま)。
 斬/切り殺した武(さむらい)を褒めることは、幽(死者の世界)では禁(タブー)であり、犯したことを憾(残念に思う、恨んでいる)
 痴/愚かで呆れる業(報いを受ける元になる行い)がある。
 侍の憤りは全て傲(驕り、高ぶり)からの悶(もめごと)である。
 匿/隠した字による叙(思うことを順序だてて述べる)の諸(もろもろ)は、双(二つ)が便りである。

『城』405。

2011-02-25 06:15:23 | カフカ覚書
 ここでKは、自分の願望をもっと強く押し出すことも出来たが、亭主の答えにいささか面くらってしまった。

 sein・・・存在。
 強く押し出す
 答え/Antwort→entwerten/無価値にする。

☆ここでKは、存在の小舟を押し出すこともできたが、この事柄を言葉によって無価値にばらばらにしてしまった。

生きることは闘うこと。

2011-02-24 06:55:10 | 漫画
 山には食べ物がないのだろうか。このところのゴミ集積場の荒され方は尋常ではない。カラス避けの網など食いちぎっている。
 そうして食べた後の残骸は風に吹かれて近隣に飛散している。
 一日に何度も清掃する方も悲しいけど、必死に餌をさらうカラスはさらに悲しい。

 もしあのカラスが、亡き父母、或はご先祖様の浅ましくも悲しく蘇った姿だとしたら・・・。

 とにかく生きることは食べることであり、生きることは闘うことなのだと教えてくれている。

Re『武蔵野』210。

2011-02-24 06:38:29 | 国木田独歩
無論、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分達をも。

 無論堤上麦藁帽子一本散歩自分達

☆夢(実在しないもの、空想)に、露/姿かたちが現われたことを、底/物事の元にして、帖/書き付けている。
 獏(つかみどころのない)考えの詞(ことば)が溢れている。
 翻り、算/見当をつけ、浮かんだ字(文字)を部ける質(性質)である。

『城』404。

2011-02-24 06:24:13 | カフカ覚書
「存じております」と、亭主は言って、さらにもう一度くりかえして、「そのことは、よく存じあげております」

 言って/sagte→Sage/伝説。
 亭主/wirt→wort/言葉。
 もう一度/nochmals→noch Mals/まだ、傷痕。

☆「わかっています」伝説の言葉は今も傷痕になっています。「そのことは、よく分かっています」

戦う日常。

2011-02-23 06:51:42 | 漫画
 向こうに見えるは・・・ハテ・・ああ「歩こう会」のメンバーのYさん。月イチなので名前がうる覚え。(すでに三年は優に超しているのに)
 リュックの上に牛蒡がゆらゆら突き出した勇ましいいでたち。わたしも長ネギが頭を覗かせている。
 格好も何もない生活感あふれる勇姿。

Re『武蔵野』209。

2011-02-23 06:39:02 | 国木田独歩
自分はこの流の両側に散点する農家の者を幸福の人々と思った。

 自分流両側散点農家者幸福人人思

☆字を部け、縷(細く連ねる)則(きまり)。
 算(見当をつける)の転(物事が移り変わる)を、納める化(形、性質を変えて別のものにする)斜(変った)考えの複(重なる、二つ)の図りごとを忍ばせた詞(言葉)。

『城』403

2011-02-23 06:20:51 | カフカ覚書
わたしがここに泊まることによってどのような危険があなたの身に降りかかろうとも、その人たちがあなたをかばってくれますし、また、わたしがどんなささやかなご好意にたいしても十分なお礼をすることができる人間であることも保障してくれるでしょう」

 泊まる/ubernachten→uber nachen/上に、小舟。
 危険/Gefahr→gewahr/保障。
 好意/Gefalligkit→falligkeit/その時期に達する。
 ささやかな/klein→Kran/氏族。

☆この小舟の上があなたの身を保障してくれるでしょう。
 氏族のその期に達したずっと先の死をも保障してくれるでしょう。

鈍くさいわたし。

2011-02-22 07:16:04 | 漫画
 何につけても臆病である。
 バスに乗っても、降りるときのことをひたすら気にしている。次の次・・・さぁ、いよいよ!という具合。
 何もそんなに気合を入れることもないのに。

「降ります」のボタンを押すという単純作業さえ、変に構えてしまい、「さぁ、今だ!」というタイミング(誰も気にしていない)を考え、しかも本当にここは降車の停留所だろうかと、念を入れて辺りを見廻す。

 注意深いというより鈍くさいこの動作・・・全く自分など消えて無くなりたいような存在だと滅入ってしまう。
 スマート、都会風とは縁の無いわたし。
 だから、外出は嫌いという・・・負のスパイラル。

Re『武蔵野』208。

2011-02-22 07:10:07 | 国木田独歩
 の句も思い出されて、七十二歳の翁と少年とが、そこら桜の木陰にでも座っていないだろうかと見廻したくなる。

 句思出七十二歳翁少年桜木陰座見廻

☆苦しい死、推しはかる死地。
 自由な再び野往(その後)傷ついた念(思い)は奥(奥深く)黙っている。
 陰の座(星の集まり)が現われる界(世界)である。