続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

NPO法人。

2014-08-24 07:21:08 | 日常
 トンボ玉教室はNPO法人の下の活動である。(Non-profitoorganization)
 だから目的は社会貢献であり、トンボ玉の名手を育てる教室というわけではないらしい。

「九月には『うらり』と『養護施設』でのイベントがありますので、参加してください」と主宰。

「わたしなんかは、まだ未熟で教えるなんて出来ないし、行ったって邪魔になるだけよね」と友人のKさんが言うので(それもそうだ)と肯いた。

「行かれる人は、登録して下さい。お弁当が出ますから」という。(お弁当が出るって、何にも出来ないわたしがお弁当を食べに行っちゃまずいでしょ)と思っていたら、
「ハマダさん、自分なんかと思っているでしょ。机を並べたり順番待ちを整理したり、やることはいくらでもあるんですよ」と主宰。(えっ、そうなの・・・)

 昨日はいつも一緒のKさんが欠席(一人で行くのは・・・)したので、返事をしかねてしまった。


 何ら社会貢献とは無縁のわたし、お手伝いくらいなら出来るし、むしろその気持ちは強い。(震災の片付けに三陸まで行った同じ年の友人もいる)
 気づかなかったけど、NPO活動の補助のような仕事は近隣に限っているようだし積極的に参加したいという気持ちもなくはない。


 ただ問題は・・・ガラス棒が温度差によって飛散する恐怖に怯えているので、トンボ玉そのものの行程になかなか付いていかれないことである。
「慣れるわよ」と励ましてくれる。
(ダメだわ、わたし・・・弱気)

 克服できるかな・・・NPO法人活動より、肝心のトンボ玉製作に戸惑いを隠せない。

《どうするか、辞めるなら今、今でしょ!》

 頑張ることが不似合いなわたしだけど、ここは一つ頑張りましょうか(ムリ、ムリ・・・)う~ん・・・。

『ポラーノの広場』432。

2014-08-24 07:09:14 | 宮沢賢治
「ぼくはね、八月の十日に帰ってきたよ。おまへはいままで居なかったぢゃないか。」
「居なかったさ、海岸へ出張してゐたんだ。」
「今夜ね、ぼくらの工場へ来ておくれ。」


☆罰に付き、重い実(内実)の鬼(死者の魂)を挙げ、巨きな悔(過ちに気づいて残念がる)を願う。
 遂(なしとげる)懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)は、困(苦しみ)也。
 帖(書付)の常は祈りである。

『城』1719。

2014-08-24 06:43:41 | カフカ覚書
わたしをいま急に解雇するというのは、まさに村長さんのお考えに反したことになります。わたしは、村長さん自身の口からそうでないということを聞かないかぎり、あなたがなんとおっしゃろうと、信じませんね。ついでに言っておきますが、わたしがあなたの軽率な解雇申し渡しにしたがわないのは、たぶんあなたにとってもたいへん好都合なことになるはずですよ」


☆わたしに今、突然去ることを許すというのは、単刀直入に彼の意見に反対したからでわたしは彼の口からそうではないと聞かないかぎり信じられません。ところで事件についてですが、あなたの無思慮な解約通告にしたがわないのは、多分大いに有利になると思います。

幸福な家。

2014-08-23 06:28:55 | 日常
 Tさんを見ていると、つくづく幸福な家というものはこうなんだと納得させられる。

「まだ結婚前の話だけど、わたしが彼の会社の前を通るときいつも見ていたんですって、それでね・・・」馴れ初めである。

「彼の家はお父様もお兄様もみんなお医者様なの。それで彼だけが会社勤めだったのだけど、何でもよく知っていて、今でも科学や医学の論文を読むのが趣味なの。わたしの家は早くに親をなくしたけれど、兄は裁判官だったから、その家に預けられて女学校を出たわ」
「・・・」
(なんか肌が合わない・・・「妹は看護師だったわ」なんて言いそびれてしまった)

 ところが三年四年と月イチの会食を続けている内、彼女自身も頭脳明晰、好奇心旺盛、手仕事も完璧にクリアーし、ステキなバックや着衣を披露してくれるし、衣食住全般にわたっての得得情報も眼から鱗の驚き。
 運転免許も必要に迫られたとはいえ50歳を過ぎての取得だったらしい。
 病がちのご主人の食事には細心の配慮、お二人とも八十を超えて深い信頼で結ばれている。三人のお子さん方もそれぞれ社会に貢献できる仕事に就き、何不自由ない生活を満喫している。

「TVで宣伝している部分カツラ、デパートで買ったものを持っていたんだけど、ちょっと魅かれて電話したの。そうしたらすぐに女の方が見えて・・・『買ってください』とは一言も言わないのよ。でも逆に購入してしまったわ。五十万円以上だったけど・・・後日『夏用もあります』って電話があったわ」と笑った。
「でも夫は、『買いなさい、買いなさい』って言うの」
「・・・」
「わたしは何でもカードで買い物をするでしょ、夫の通帳から引き落とされるから、わたしの年金は手付かずで貯まる一方だけど夫は『僕が先に死ぬからお金はあなたのほうに移しましょう』って言うのよ」

 何から何まで・・・ここでは書き切れないほどのゆとりある思いやり・・・。
 
 恋愛から結婚、子育てから熟年老後に到るまでの穏やかで愛情溢れる日常・・・《幸福》という言葉が脳裏を掠める。
 幸福は、短くも美しく燃え尽きたりしないんだと羨望の念に駆られてしまう。

 最近のTさんは「縫い物は手に支障が出て、今はもう・・・だから、コーラスとストレッチに励んでいるわ」とどこまでも前向き、幸福のおすそ分け、ありがとう。

『ポラーノの広場』431。

2014-08-23 06:15:55 | 宮沢賢治
「わたくしは何べんも瞳を定めてその顔を見ました。それはファゼーロでした。
「あっ、どうしたんだきみはずうっと前から居たのかい。」わたくしはびっくりして云ひました。

 何べんはカと読んで、化。
 瞳はトウと読んで、等。
 定めてはテイと読んで、底。
 顔/Face→Faith/信仰。
 見ましたはゲンと読んで、源。
 前はゼンと読んで、然。
 居たのかいはキョと読んで、許。
 云ひましたはウンと読んで薀。


☆化(教え導く)等(平等)の底(物事の元になるもの)は、信仰の源である。
 然(そのとおり)を許(聞き入れること)が、薀(奥義)である。

『城』1718。

2014-08-23 06:04:15 | カフカ覚書
しかし、村長さんがわたしにこの職をあたえられたのは、わたしをここでわたしの妻や助手もろともに凍死させるためではなく、これはあなたもおっしゃったことですが、わたしがやけになって無思慮なことをしでかすのを防止するためだったんですよ。


☆しかし、彼がこの場所を与えたのであれば、わたしはここでわたしの家族もろとも凍死などでなくーこれはあなた自身が言ったのですが、わたしが永遠に絶望的な気分になり、無思慮なことをしでかすことを、阻止するためだったんです。

夏の終り。

2014-08-22 06:54:21 | 日常
『八日目の蝉』という小説があったけど、蝉は六年間も地下に眠り地上に出ては、たったの一週間で尽き果てると聞いている。

 八月も下旬になるとベランダなどに蝉の亡骸が幾つも転がっている。つまみ上げようとすると突然渾身の力をこめ、飛んで逃げて行く。こちらは驚くものの、攻撃することもない蝉の哀れに胸を衝かれてしまう。

 短い生命、八日目にも蝉は生きているかもしれない・・・それにしても儚い生命。宿命である、天命を持って人間が現世と呼ぶ世界から消えていく。
 あんなにひどく鳴いていた蝉たちは、何を告げていたのだろう。物言わぬ虫や蝶に感情移入して感傷的になる。

 夏の終わりは、どこか、もの悲しい。酷暑もここ数日だとニュースでは伝えている。
《猛暑を迎え討つ》というような気迫も薄らぎ、(もういい、安心して涼やかな秋を待つばかりだ)という安堵の気持ちが緩やかに膨らんでいる。

《まだまだこれから夏》と《夏はもう終ったのね》では心持が全然違う。ひと夏を無事に越えた達成感である。
 夏は恋の季節でも何でもなく、個人的に逼塞状態で耐え忍んだに過ぎないのに、この小さな満足。
 横浜トリエンナーレもTV『横濱ツウ』を見て、肯いている体たらく。

 こんな夏の終わり、蝉のお墓でも作ろうか・・・。
 夏に付き物の宿題・・・どこかに置き忘れたまま、何年分も溜まっているかもしれない。(えっ、そんなものどうでもいいの?)(そうなの・・・よかった。)

『ポラーノの広場』430。

2014-08-22 06:45:53 | 宮沢賢治
俄かに舟がぐらぐらゆれ、何でも恐ろしくむかし風の竜が出てきてわたくしははねとばされて岩に投げつけられたと思って眼をさましました。誰かわたしをゆすぶってゐたのです。


☆画(えがくこと)を修(ととのえ)、化(形、性質を変えて別のものになる)で、教(神仏のおしえ)を封(とじこめ)、流(広まるように)遂(やりとげる)。
 願いは、等(平等)であり、詞(ことば)から願いを推しはかる。

『城』1717。

2014-08-22 06:26:31 | カフカ覚書
「あなたは、わたしの上役にちがいありませんが、この地位につけてくださったのは、あなたではありませんからね。それは村長さんです。わたしは村長さんの解雇通知しかみとめませんね。


☆「あなたは、わたしの先祖にちがいありませんが、この場所をあたえてくれたのはあなたではありません。大群の教区の責任者です。わたしは彼の解約通知しか受け取りません。

ちょこっと読書(村上春樹)③

2014-08-21 06:37:54 | 現代小説
 短編も三作目になると、作家の手法が見えてくる。
《パッチワーク技法》である、それぞれ異なる布地を集めて部分的に継ぎ大きく広げて行く。際限なく広げることは出来るが、バランスを考えると途方もなく困難になるという手法で、取り合わせの妙がものをいう。予期しない共鳴に胸の高まりを抑え切れない効果が生じるけれど、星の数ほどの組み合わせの中で選択するセンスが必須であり、その起伏ある物語のような流れは見るものを圧倒する。連続パッチの場合は最初のパターンと縫製技術があれば仕上げることは可能だけれど、クレイジーなパッチワークの場合、難しくもあり、そのエネルギーは想像を遥かに超える。
 パッチワークは素晴らしく広がりある世界であるけれど、あまりにも時間がかかり修正もまた困難であるという行程のため、女性の内なる手仕事に納まっているのは残念に思う。

 現代は忙しく、場面の切り替えはむしろ日常的になっている。ふっと現れ、ふっと消えてしまう。その中で軸である自分は主体性なく泳がされているとさえ錯覚してしまうほどの混沌がある。パッチ(部分)で、あたかも唐突につながっていく物語をつむいでゆくエネルギーは読む者を奇妙に引きずり混沌という日常(あるいは非日常)へと誘い込んでいく。


 前置きが長くなってしまったけれど、この手法である。主人公である僕を中心にエピソードのパーツを集め繋げていく。脈絡はないが、奇妙な雰囲気が生じる。
 軋みと言ってもいいかもしれない。

『ニューヨーク炭鉱の悲劇』
 プロローグは目立たないような小さな文字で《地下では救助作業が、続いているかもしれない。それともみんなあきらめて、もう引きあげちまったのかな『ニューヨーク炭鉱の悲劇』(作詞・歌/ザ.ビージーズ)》とあり、ラストに《そとではもちろん人々は穴を掘り続けている。まるで映画の一場面のように。と締めくくられている。

 しかし、この標題にもかかわらず、のっけから僕の友人の話で始まり、《なにしろ、もう28だものな・・・。》とこの年齢にありがちな心境の変化を吐露したりする。
 物語は全て形而下にあるのに、あえて形而上的な丘の上の形而上的な殺戮について《その直後》に不意打ちのように始まったのだとつなげている。

 現実と非現実のあいだに横たわるその暗い溝を最初にまたいだのは・・・中学の時の教師の自殺であり《28歳の青年の死は、冬の雨のように何かしら物哀しい。》と胸をつく言葉で語られる。(まるで、詩の断片だ)

 台風の日には会社を休んでまで動物園に行き動物の様子に対峙するという変人(他の日常はごくノーマルらしい)に葬式用の黒い背広とネクタイと黒い革靴を借りにいく僕は、彼から「動物園に猫の檻を見た」という話を聞く。
 常ならざることはのエピソードは淡々と綴られて行く。
 幾つかの事故死。
「もう充分な数の人間が死んだ」「何だかピラミッドの呪いみたいだな」会話は夜中の賛辞に動物園にいったという話に及び、
「結局この大地は地球の芯まで通じていて、そしてその地球の芯にはとてつもない量
の時間が吸い込まれているんだよ」と、友人。
「いずれにせよスイッチを軽く押すだけでコミュニケーションがブラックアウトする」
 ビール、ウィスキー、シャンパンと飲み継いでいく友人との夜更け。

 物語の最後の女は「あなたによく似た人を殺した」と告白する。「もちろん法律上の殺人なんかじゃない」という女は十一時五十五分に流れ出した『蛍の光』って大好きだというが、僕は『峠の我家』のほうが鹿やら野牛やら出てきていいと答え、不意にも服を借りた友人を思い出す。

 そして物語は、空気を節約するためカンテラを消した漆黒の闇の中の坑夫たちが、岩盤を削る音に耳を澄ませているという光景で終る。

 静謐な死のメロディは、しかし生きている者にしか聞えない。