続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『銀河鉄道の夜』30。

2015-07-28 06:34:07 | 宮沢賢治
 家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはひってすぐ入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴をぬいで上がりますと、突き当りの大きな扉をあけました。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)記の帳(ノート)がある。
 散(バラバラにして)極(いきつくところ)に題(テーマ)がある。
 割(二つに切り裂き)判(区別する)諸(もろもろ)は、新しい考えである。
 継(つなげて)散(バラバラにし)代(入れかわる)ことに拠ると吐く(言う)。
 寂(ひっそりとしてものさびしい)過(罪科)の償いには訥(口が重い)。
 答えの題(解決されるべき事柄)は秘(人に見えないように隠している)。

『城』2035。

2015-07-28 06:01:27 | カフカ覚書
おれは、あのときは村のことがまったくわからず、知った人もなければ、隠れ場所もなく、長途のたびに疲れはて、すっかり途方にくれ、あそこのわらぶとんのうえに横になり、当局からなにをされようと、どうにもできない立場におかれていた。


☆あのときは来世のことがまったくわからず、知人もなく逃げ場もなく、ひどく疲れ果て、まったく助けもなく、来世では藁布団(浮浪者の袋)に横たわり、当局から掴んで引き渡されるような状況だった。

マグリット『神の客間』

2015-07-27 06:57:34 | 美術ノート
『神の客間』・・・月の光、星が瞬く神秘的な空間である。

 月は二十六日(くらい)の月、この月が星空の深夜に在るはずがない。在るはずがない光景を描くために選択されたこの月(二十六日の月は深夜に出現しない)。
 雲がかかり虹色の暈が見える。雨の予兆であるが、神秘的なムードを醸し出し神々しいとも思える光景である。


 邸宅と丈高い樹木に囲まれた庭、中央に立っている男は牧師さんだろうか。小さな図版で判別が難しいけれど、祈りを捧げているのかもしれない。

 客間というからには特別のもてなしが施される部屋(空間)という意味だと思う。
 神さまが出現なさる特別な空間である客間はこのようである。
 
《非現実》
 現実の猥雑さを否定した神々しさ、世間を隔絶する丈高い樹木(林)、月は虹色の暈で飾られ、祈りの対話をする人…精神的な場所と言えるかもしれない。

 神の客間は、現世の渾沌にはなく、異世界の虚空間にこそ現出する。明らかなる疑似的世界に開かれた妖気漂う現場は現実の条理を否定している。
 繰り返すけれど、この二十六日の月を闇(夜)に描くこと自体虚偽の月、虚偽の幻想空間なのである。

(写真は『マグリット』㈱美術出版より)

トリテツ。(熱い人たち)

2015-07-27 06:27:47 | 日常
 トリテツ・・・TVなどで見かける人たち。新しい電車や機関車などを熱心に写真に収めている光景。

 フウン…あの熱意、欲しいなぁ。
 何事にも無関心のデクノボー、狂うほどに熱くなったことがない。ああ、身体能力の衰弱なんか忘れて突っ走りたいなぁ!と思う。

 先日鎌倉へ出かけた折見かけたトリテツの人たち。(えっ、この人たちなの、トリテツって?)
 JR逗子駅の周囲、駅の外にも駅の内にもカメラを構えた人の群れ。

《なに、何なの?》

 ざわざわする熱い空気が門外漢のわたしにもひりひり。高校生くらいの男の子に聞いてみた。
「何なの?」
「はい、スーパーあずさです」「・・・」
 わたしが乗っている電車のわきに停車している超近代的なデザインの電車、(ああ、これなの)それにしても、ホームのない引き込み線のようなところに停車しているけど(何してるのかしら)というわたしの薄い感想。

 大体、こんなところに停車していることを彼らはどうして知ったの?マニアの情報ってスゴイなぁ。ここまで追いかけてくることがスゴイよ、すごい情熱だよ。分けて欲しいなその情熱。


 ああ、一歩外に出るといろいろな光景に出合う。鎌倉駅ではどう見ても70代くらいの男が電車に乗った60代くらいの女性に手を振っている。女も手を振り返している。一度ならず何度も電車が発車するまで繰り返された光景。電車が出るとホームにいた男は(やれやれ)としか見えない様子で人ごみに消え、車内の女も(やれやれ)という風に肩の力を抜いてシートに腰かけた。女はワンピース姿、思いっきりのオシャレという感じ。
 長寿の時代、こういう光景も珍しくなくなるかもしれない。

 みんな熱くなって、いい人生を満喫できたと思うことが一番!(わたしも頑張れるかなぁ、ダメかも・・・)

『銀河鉄道の夜』29。

2015-07-27 06:19:58 | 宮沢賢治
すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちゐの葉の玉をつるしたりひのきの枝にあかりをつけたりいろいろ支度をしてゐるのでした。


☆懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)を荷(身に引き受ける)果(報い)を吟ずる講(はなし)である。
 裁(さばく)要(かなめ)は、霊(たましい)を試す旨(考え)の図りごとである。

『城』2034。

2015-07-27 06:04:47 | カフカ覚書
まったくばかばかしいことだが、シュヴァルツァーのおかげで、村に着いた最初のしゅんかんから当局の全注意力がおれにむけられてしまったのだ。


☆完全に無意味だと悟ったけれど、シュヴァルツァー(影の人)のおかげで、来世についた最初の時(死期)からすべての注意を守っていたのだ。

マグリット『傑作もしくは水平線の神秘』

2015-07-26 07:29:00 | 美術ノート
 三日月を頭上に浮かべた三人(もしくは一人の分解)の紳士。

 日暮れだろうか…日暮れといえば三日月、ゆえに夕刻である。しかしこの三日月は地平に水平に立っている。この三日月が南中(頭上)にある時刻は正午を少し過ぎたころのはずだから、有り得ない光景なのである。(その前に月が三つ並ぶこと自体、そして、一人の人に酷似した三人というのも非現実的である)

 遠くに見える街並み、人のにぎわう現世がある。
 右を見、左を見、街の方を見ている、明らかに一人の男の分解である。
 
 空は青い、日中の提示かもしれない。時刻を明らかにしていない空である。
 彼ら(彼)は《見えないものを見ている》明らかに在るはずの真実を想起していると換言してもいいかもしれない。

《見えるもののずっと奥深くに見えないけれど、存在する真実がある》
 三人の分解された男の視線の先は、東から上り、南中し、そして西へ下るという方角への凝視である。三日月と呼ばれるこの月は、東・南・西の経路を確かに辿って存在している。西を向いた男だけが顔を明らかにしているのは、日が沈んだ夕刻の西にはっきり見えるという暗示かもしれないが、傾き加減に少々違和感がある。


 マグリットの《見えないものを見る、見えない真実への追及》を描いたという自負はまさに傑作であり、月が回っているというより、この月の運動は地球の自転により見える景色であって、真実は地球を巡る水平運動である。
 見るということ、目に見える景色には神秘の魔法がある。
 見えることの裏に潜む真実というものをイメージすることも一考ではないかと、マグリットは微笑む。

(上の写真は『マグリット』㈱美術出版より)
(下の写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

 

『鎌倉からはじまった』PART2.

2015-07-26 06:49:08 | 日常
 1951年に開館という神奈川県立近代美術館/鎌倉。
 新館への小さな橋を渡った記憶は鮮明で、水の上を跨いであちらへ行くという感覚は新鮮だったし、館内のロフトへの階段もオシャレに感じたのを覚えている。

 何に対しても関心度の薄いわたし・・・それでも、
(そうか、もう無くなってしまうのか)と思うと、こんなわたしでさえ、寂しさが過る。まして関係者の方々や美術ファンの方々の思い入れには格別の感慨があるに違いない。

 水沢館長さんのお話からもその熱意が伝わってくる。
「七年前には、ここを総て更地に戻すということでしたが、現在は少々状況が変わり、少なくともこちら(本館)のほうは文化財として残存させるという方向になっています。五十選のこの景色は新館と併せたものですから是非双方とも残してほしいのですが、秋(九月)には決定が下される予定です。
 この美術館は遠くからも人目を引くというような派手な企画こそありませんでしたが、地道に内容の深い企画を催してきました。また作家の存在を際立たせた(育てた)という自負もあります。・・・」

 水沢館長さんのお話には、学芸員としての仕事の総決算たる思いが言葉の端々にこもっていて、迫るものがありました。ありがとうございました。


※帰り際、「水沢館長さんにファンレターです」と言って長門学芸員に何かを渡している女の人がいらした。(そう、もうお会いすることもないかもしれない・・・)
「わたしのエアー・ファンレターも渡してくださいな」そう言いかけてその場を通り過ぎたけど、「水沢館長さん素敵でしたよ、若いころから」
 遠巻きの隠れファン、美術館(鎌倉本館)が閉館になるよりも淋しいかもしれません。
 ありがとうございました。

『城』2033。

2015-07-26 06:16:31 | カフカ覚書
というのは、あのときあいつからあんな応対を受けたからこそ、それ以後万事がこういう方向をたどりようになったのかもしれぬという事実を忘れてはならないからだ。


☆あんな歓迎を受けたので、たぶん次にはすべてを質すことになったのかもしれないという点を忘れてはならない。