続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』2929。

2018-04-23 06:22:56 | カフカ覚書

なにしろ、目がさめてからじゃ仕事をする時間がいくらもないので、眠ってしまったことに自分でもひどく腹をたてて、なにもかも大いそぎで片づけてしまおうとなさるから、こちらはほとんどものも言わせてもらえないでな」


☆目を覚ました後では、仕事(現場不在証明)をする時間が少ししかないので、そのために不機嫌になるんです。死を急ぐので、ほとんど言うこともできないのです。


🈞マグリット『一夜の博物館』③

2018-04-20 06:46:57 | 美術ノート

 十字に仕切られた四角い箱状のものの枠は、真正面からの視覚であるが、内部の空間は右斜め上からの視線である。
 しかも内部の空間の見え方が微妙に歪んでいる、奥行きが上より下の方が深く見えるし左右にも差異がある。縦線・横線の一方は一致しているが他方に違和感があるという具合で、あたかも自然に見えるように描いているが、不自然な(意図ある)空間なのである。巧妙な仕掛けのある人為的な空間と言える。

 果実は新鮮だろうか、少々崩れかけているようにも見える。即ち時間の経過による疲弊…。
 切り取られた片手は生々しいが流れるはずの血がない。つまり血が通っていない手ということである。
 石(岩石/鉱物)は単に石であり、他の何物でもない。普遍に近いが倒壊あるいは破損がないとは言えない。
 要するに物自体であるより他ない物であり、本来、意味を見出すことが困難な物であるが、ある種の観念めいた思考を浮上させる連鎖を見出す時代があったのだという博物誌的な見地である。

 右下の紙状のものは明らかに二度折り畳んでからの刻みがある。広げれば見えない(十字)がそこに浮上する、十字を隠しているとも還元できる図である。

 これらを総合した思考が時代を制した博物誌が、巨大な宇宙時間のなかで『一夜(ごく短い)の博物館(時代の証明)』として公開されている。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』①

2018-04-20 06:41:10 | 宮沢賢治

  『小岩井農場』

 小はショウと読んで、照。
 岩はガンと読んで、願。
 井はイと読んで、意。
 農はノウと読んで、悩。
 場はジョウと読んで、常。

☆照(あまねく光が当たる=平等)を願う意(気持ち)を悩(思いなやむ)のは、常(いつまでも変わらない)。


『城』2928。

2018-04-20 06:33:02 | カフカ覚書

村でなさるお仕事は、いはば自発的なさーヴぃすですからね」
「こうなると、おしまいまで眠らせておいた方がいいんだがな」と、ゲルステッカーが言った。


☆ここでの仕事(現場不在証明)は、自由意思ですからね。「終わり(死ぬ)まで愛するのです」と、ゲルステッカーが言った。


🈞マグリット『一夜の博物館』②

2018-04-19 07:01:09 | 美術ノート

 箱と言ったが、内部は立体(箱状)に見えるが全体は平面である。疑似空間、本当は無いが、有るように見せている、つまり、いかにも現実(リアル)だけれども、実態はいかなるものかという疑問を打ち消せない。
 果実は期限切れ(死)であり、手は肉感的(生存)、石(岩/鉱物)は不変(限りなく永遠)である。要するに矛盾であり、不条理を暗示している。

 刻み込まれた平面(紙状)のものは、二度折り返したのちにハサミ(刻み)を入れている、つまり四方に等しく拡散していく図法であり、内部は隠されている。
 見ることを拒否している、実体の有無は決して覗いてはならない謎である。しかし、ここで重要なことは、その隠蔽は明らかに人為的な手法に因るものだということである。
 自然、宇宙的真理ではないということである。
 その光景を一括りにし、ほんの一夜の博物館として公開している。
 わたしたちが永遠と信じている信奉も、宇宙の時間の中では《一夜の博物館》として収められるほどのものに過ぎない。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『蠕虫舞手』⑦

2018-04-19 06:48:30 | 宮沢賢治

    (いゝえ あそこにおいでです おいでです
     ひいさま いらつしやいます
     エイト ガムマア イー シイツクス アルフア
     ことにもアラベスクの飾り文字
  ふん 水はおぼろで
  ひかりは惑ひ
  虫は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
     ことにもアラベスクの飾り文字かい
     ハツハツハ
   (はい まつたくそれにちがひません
     エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
     ことにもアラベスクの飾り文字)


☆蝕(ふれて感じたこと)を問う辞(言葉)を推しはかり、注(書き記している)。
 蝕(ふれて感じること)を問う事。
 蝕(触れて感じたこと)を問う事である。


『城』2927。

2018-04-19 06:37:59 | カフカ覚書

こいつは、待つしか手がありませんな。目をさましたら、ベルを鳴らされるでしょう。もちろん、むらにいるあいだじゅう眠っておられて、目をさますなり城へお帰りにならなくてはならないようんことが、これまでにもありましたよ。


☆わたしたちは留まる必要がありました。目を覚ました時に鳴るでしょう。もちろん、すでに存在していれば、村(死の入口付近)にいるあいだじゅう、眠り続け、目を覚ませば再び城(本当の死)へと帰っていくのです。