続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』3130。

2019-02-20 06:40:13 | カフカ覚書

どうも当地では、人を怖気づかせるようにできている点がすくなくないようです。新しく当地にやってくると、そういう障害がまったく見通しがたいことにょうに見えるのです。


☆当地では脅して辞めさせるような仕組みがかなりあるということなんです。新しく当地にやってくる人は絶対的な妨害で見通しがつかないようです。(決して死んではいけない、本当の死に至ってはいけない)


🈞マグリット『ピレネーの城』②

2019-02-19 06:49:15 | 美術ノート

 二重の視点(空間)であり、一つは水平線、一つは巨岩石全体である。
 この二つの視点は、よって同位置ではない。巨岩石は手前に描かれているにもかかわらず、目前というよりはこのピレネーの城に至るまでの全体を一望できる距離にあり、しかも地上(水平線)より高い視点である。
 つまり物理的な時空に、精神的な時空がオーバーラップしているということである。

 精神的な時空=一国一城の主である個の世界は一日にしてなったものではなく築かれた城であるが、物理的な視野(他人)から見える景色ではない。
 重力に支配されない精神界ではあるが、この位置を維持するには非常な緊張とたゆまぬ努力(エネルギー)を要する。落下の可能性は火を見るより明らかである。

 落ちる(死)宿命は逃れようがないが、この石は《火》を抱いている。この火(思考力)が物理界(自然)に反逆している源である。

 マグリットの静かなる闘志(暴力的な火=思考のエネルギー)は静謐な時空に留まっている。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』53

2019-02-19 06:41:29 | 宮沢賢治

      第五日曜

 オツベルかね、そのオツベルは、おれも云はうとしてたんだが、居なくなつたよ。
 まあ落ちついてききたまへ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこいひどくし過ぎた。


☆題(テーマ)は、語(言葉)の化(形、性質を変えて別のものになる)が要である。

 運(巡り合わせ)が拠(よりどころ)である。
 絡(つながり)は全て照(あまねく光が当たる=平等)を、化(教え導くこと)である。


『城』3129。

2019-02-19 06:30:07 | カフカ覚書

「いや、いや」と、ビュルゲルは、Kの考えていることに答え、親切にもKがものを言わなくてもすむようにしてやるかのように言った。「失望ぐらいで尻ごみなさってはいけません。


☆「いや」と、ビュルゲルは言った。しかし答えもまたKの先祖の思想や思慮ある苦労を述べることはなかった。「失望によって止めてしまってはなりません。


🈞マグリット『ピレネーの城』

2019-02-18 06:25:07 | 美術ノート

   『ピレネーの城』

 ピレネーの城、つまり、任意の城ということである。特別ではないが固有であり、他とは線を画するものである。
 空中浮遊、重い巨岩石が空中に漂っている光景・・・重力のない世界、物理の法則に著しく反する時空、即ち精神界の光景に違いない。しかし現実の世界に堂々と位置している。まぎれもなく現実の海であり空であり雲の浮遊のなかの光景である。

 生きているわたし(マグリット)の実証はこのような形でしか表現できない。
 現実を生きているが、衆目の眼下にはなく、雲に紛れ浮遊している。わたしの城の在処は誰からも見えない岩上にあり、質的に言えば石に同化し硬質であるが、常に天に向き陽に浴しているという心地よさである。

《岩石が空中に浮くはずがない》という当然の理を覆す反骨、つまり《イメージへの反抗・否定である》
 岩石を持ち上げる精神力(エネルギー)と解してもいい。それは観察眼への疑念であり、習得された観念からの脱却でもある。地球が大きな石であると考えるなら、人もまた自由な石と考えられるのではないか。生死の時空において存在は同格である。

 物理界(自然)と精神界(人)は常に共存しているが、視界(観察眼)は物理界のみに加担している。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』52

2019-02-18 06:13:54 | 宮沢賢治

よくまあ、五把の藁などで、あんな力がでるもんだ。
 じつさい象はけいざいだよ。それといふのもオツベルが頭がよくえらいためだ。オツベルときたら大したもんさ。


☆語(言葉)で把(つかむ)講(話)である。
 利器(便利な道具)は章(文章)であり、等(平等)が他意である。


『城』3128。

2019-02-18 05:58:13 | カフカ覚書

「あなたは、失望をなさったことがすでに何度かおありのようですな」と、ビュルゲルは言って、なかなか観察眼があることをまたもや証明してみせた。事実、Kは、この部屋に足を入れたときから、ビュルゲルを甘く見てはいけないと、何度か自分に言ってきかせたのであるが、いまのような状態では、自分の疲労以外のものを正しく判断することは困難であった。


☆「あなたは先祖に幻滅なさったことが、すでに何度かあるように見える」と、ビュルゲルは言い、観察眼を再び証明してみせた。要するに、Kはこのテーマに介入した時からビュルゲルを過小評価してはいけないと思ったのだが、今の状態では自身の眠気(死に至る)以外のことを正当に判断することは難しかった。


🈞マグリット『ガラスの鍵』④

2019-02-15 06:53:46 | 美術ノート

 遥か山頂にある巨岩石、下方から仰ぎ見た図ではない。この高所に位置し対峙した関係であり、わたくしの精神が浮上しているのである。精神はこの石と共に在る。

 総ての存在には相違があり、石も一つとして同じものは無い。唯一無二の存在として山の稜線に立つ石は客観的に見て非常に危うい山(地上)との関係にある。危機を孕む状態に楽観は許されない。
 緊張感の持続は生命の輝きであり、生活の糧である。
 この石の情況は、神がかり的な奇跡に類する。恐怖と憑依・・・霊的な神秘の光景は持続を予感させない。
 持続は闘いであり、石はわたくし(マグリット)である。
 地球上あまたある山の光景、どこにでも転がってる石ではあるが、この対峙、このバランスこそが今のわたくしであり、生きざまに他ならない。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『城』3127。

2019-02-15 06:33:07 | カフカ覚書

それどころか、いやしくも秘書たる者はおぼろげにでも感づいていてもよいとおもうのだが、見たところ、そういうこともなさそうだ。そのくせに、あの小さなメモ帳を使ってこの件を城で即座に解決してやろうなどと申し出やがる。


☆それどころか秘書は見ないでも何でも知っているので、簡単に承諾すべきである。少なくとも先祖の疑念を言及し事件を整理して、氏族の備忘録で助けようとする覚悟である。