@世の中で間違った法規、規制は現在でも多く、変更、改正させるには頂点に居る関係者の同意を得るための多くの時間と費用がかかる。本書にある「改暦」への渋川春海の生涯をかけた試みはどうやり遂げたか。1、庶民の圧倒的な賛同を利用、2、証明を見える化、3、関係者への根回しなど、時間をかけ底辺からの説得、納得から勝ち得た地道な努力の「勝利」となったことだ。
『天地明察(下)』冲方丁
「概要」改暦の総大将に選ばれた渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が幕開く。渋川春海の20年にわたる奮闘・挫折・喜び、そして恋!
ー会津藩主保科正之からの奇妙な使命が出る。「この国に正しい天理をもたらせ」と改暦を命令
保科正之、現実幕閣の指導決定者は会津藩での飢餓対策「飢餓は君主の名折れ」(会津に飢人なし)と言われる飢餓救済改革(備蓄政策)を実行、江戸での明暦の大火でも食糧不足を備蓄を放出など物資高騰を抑え、民の生活向上へ努力した。火災後の天守閣を再建しないと主張したのも正之。
ー「改暦」宗教統制(聖域)からて天皇からの職務「観象授時」の権限を奪う事などの解釈が出る だが、最後の月蝕において間違いが発生し採用とはならず、やり直しに10年かかると予測
ー採用の止めによる挫折と更に支援者が次々と逝去、その中には保科正之、大老の酒井など同僚の不幸も重なった。だが、功名が一つ、塾での恩師が自分の算術成果の資料を渡されや、昔であった娘との婚姻を約束、水戸の光圀公が金銭的支援を申し出て再開する。
ー10年近くの綿密な研究調査のやり直しでついに完成、大和暦として「800年かけて2日のずれがある」ことを証明する行動へと動く。「己を治めて正しくし、私をなくすくこと。仁恵をおのんじて民に施し、民を安じること。多くを好んで問い、世情を詳しく知ること」、それは路上での公開討論、世論形成、土御門家への朱印状、関白の確約、販売網の掌握など多くの「改暦」手紙を関係者に送った。
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