相模原市南区下溝に四季の花が絶えない「県立相模原公園」はある。当園は「アジサイ」の本数は少なくお隣の「相模原麻溝公園」にお株を譲っている。イベント広場前近くの「ボケ」の花壇前の一角に「ヤグルマギク」のエリアがある。一分枯れかかっていたり、茎が雨か風で倒れているものもあるが残り数割が青色と紫色の花を披露中である。「ヤグルマギク」は漢字で「矢車菊」で、ヨーロッパ原産のキク科のヤグルマギク属一年草(越年草)である。もともとの原種のヤグルマギクと言えば青い花。開花時期5月~7月で5月から初夏にかけて咲く花である。花を真上から見た形状が矢車のように見えることからついた。紋章などにも使われる菊である。矢車というのは弓矢の羽根を放射状に組み合わせたもの。鯉のぼりの竿の最上部でからからと音を立てながら回転している滑車にもみたてられいる。(2306)
鎌倉市大町に浄土宗寺院の「祇園山安養院」(田代寺)は鎮座している。安養院は尼将軍と称される「北条政子」が「源頼朝」の菩提を弔うため、僧願行を開山とし、祇園山「長楽寺」と号して嘉禄元年(1225)佐々目ヶ谷に建立された。同年北条政子が逝去の際に僧願行が導師となり、法名安養院如實妙觀大禅尼から寺号を「安養院」と改めた。その後(正慶2年=1333年)兵火により罹災、善導寺のあった当地へ移転、延宝8年(1680)に火事により罹災、再建に際して田代の「観音堂」を境内へ移転。安養院の名は政子の法名である。本尊は阿弥陀如来像。千手観音像と北条政子像が安置されている。大町大通の「上行寺」前に構えられた「寺号標」を抜けると右側には手入れの行き届いたミニ花壇でピンクの花が咲く。山門より入山すると正面に「本堂」、右に庫裏がある。「日限地蔵」が祀られている。当寺は坂東三十三ヶ所3番、鎌倉三十三観音霊場第3番、鎌倉二十四地蔵尊霊場24番である。(2306)
鎌倉市大町に比企谷妙本寺を旧本山とし「ぼたもち寺」と呼ばれている日蓮宗寺院「慧雲山常栄寺」は鎮座する。創建は慶長11年(1606)。鎌倉時代からあった草庵を日祐尼が開基、日詔上人が開山。本尊は三宝祖師。寺伝には鎌倉時代に「源頼朝」が山上に由比ガ浜を遠望するため創った「桟敷」が興りである。文永8年(1271)に「日蓮上人」が「瀧の口法難」にあって刑場に引かれていく時、ここに住んでいた桟敷尼が「ぼた餅」を捧げたことに由来し、寺号はその「桟敷の尼」の法号「妙常日栄」に因んでいる。妙本寺山門前を右折した右手一角に赤い「山門」構えられている。境内正面に独特の屋根を有する「本堂」右手に「庫裏」がある。さほど広くはない境内の一角に「これやこの法難の祖師に萩の餅ささげし尼がすみしところ」の碑が建てられている。(2306)
相模原市南区麻溝に「アジサイ」、「クレマチス」は市内随一の本数&規模を誇る「相模原麻溝公園」はある。当園は今、クレマチスはピークを過ぎ「アジサイ」が見頃を迎えている。「花の谷」に架かる橋の袂の一画で「ノウゼンカズラ」(凌霄花)が数百輪の鮮やかなオレンジ色(橙黄色)の花を見せつけている。この花木は中国原産でノウゼンガズラ科ノウゼンガズラ属の落葉蔓性である。花期は7、8月だが今月もう咲き始め少し開花が早いようである。よく見ると枝先に円錐花序をだし直径6~7cmの橙黄色の花を咲かせ、花冠は広い漏斗形、先端は5裂して平開し独特の花姿をしている。平安時代には花と茎は薬として使われていた花である。花言葉は花木ラッパ状の花を咲かせる花姿から英雄や勝者を祝福する際のファンファーレで吹くトランペットを連想し「名声」、「名誉」、「栄光」である。(2306)
鎌倉市小町に「東身延」と呼ばれている日蓮宗の本山「妙厳山本覚寺」は鎮座している。創建永亨8年(1436)。源頼朝が建てた「夷堂」があったこの地に日出僧侶が時の公方「足利持氏」の勧めで建立した。本尊は運慶作の釈迦三尊である。身延山の「久遠寺」より日蓮上人の分骨を祀っている。また目の病を治癒してくれる寺として「日朝さま」として親しまれていることや、「江の島七福」(神夷神)のひとつであることで知られる。現在の境内の伽藍はほぼ近代なってからのもので、楼門造りの「山門」(仁王門)は江戸時代の創建で最古である。境内正面には大正時代の創建の総欅作りの「本堂」である。日蓮聖人のご分骨を安置する「分骨堂」、日蓮上人が滞在して布教を再開した「夷堂」は蛭子神社に合祀され現在のは昭和56年(1981年)に再建された。その他境内には高床式の「八角堂」、市の文化財の「梵鐘」がある。数々の伽藍は本山に相応しい寺域を形成している。(2306)