■2024年12月2日、日経新聞、日経大阪発刊100年特集記事の抜粋
大阪・道修町(どしょうまち)に関する記事。
道修町は江戸時代から「薬の街」として知られ、塩野義製薬、武田薬品、田辺三菱製薬(旧田辺製薬)、小野薬品工業も道修町を起源とする。
道修町の歴史をさかのぼると江戸時代に薬種取引市場に行き着く。
市場で取引ができる幕府公認の株仲間として薬問屋が多く軒を連ねた。
薬の神様を祭る「少彦名(すくなひこな)神社※」は今も道修町のシンボル。
※少彦名神社 → https://www.sinnosan.jp/
幕末には天然痘の予防接種の普及に貢献した緒方洪庵が近隣に蘭学の私塾「適塾」を開いた。そして適塾は大阪大医学部に発展。
薬問屋は明治期に大阪薬学校(現大阪大薬学部)と大阪道修薬学校(現大阪医科薬科大)を立ち上げた。
そんな薬の街に変化が訪れている。
道修町に本社を置く塩野義製薬は2025年夏以降に大阪・梅田の再開発エリア「グラングリーン大阪」に移転する。
1878年に「塩野義三郎商店」として創業以来本拠だった道修町を離れる。
武田薬品が2018年「グローバル本社」を東京日本橋に構えたほか、他の製薬大手も東京に事業の重心を移しており、道修町の相対的な存在感は薄れつつある。
道修町の歴史、勉強になりました。
道修町及びその街並みは2017年2月のブログを ↓
■大阪出張 北浜・高麗橋・道修町界隈を散策
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