筑井孝子の日々芸術日記✨

画家 筑井孝子先生の紹介を画像です、
日々のすごしてること
美味しいものを紹介します

伊勢崎勉強

2024-09-19 18:27:05 | 大人の教室

伊勢崎の勉強もしています

 

もちろん絹のことだけど

 

でも

歴史も勉強

 

 

 

伊勢崎にいた先人がまもったんだね

 

なんと無料なんだよ

すごい

 

でも

人は全く来てないよ

 

中には伊勢崎でみつかった

埴輪

 

yくこわれてなかたし

綺麗だ

 

こんなイベントもあるんだって

 

こんな石棺??は

あまりないんだって

 

すごい上手な

埴輪師がつくりにきていたって

 

東京にも出張なんだって

すごい

 

なんで

同じところで発掘かとおもってきいたら

大間々扇状地ってのがあって

そこにはないんだ

 

なるほど。

 

ふかいね

そのあとは国定忠治の墓

 

あ。

長岡忠治っていうんだ

 

さしずめ

わたしは前橋孝子って感じかな。

 

 

柵におおわれていました

 

でも

その横には

 

墓より大きい墓をおしえてくれる石碑

 

親分って感じなのかな?

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国定 忠治(くにさだ ちゅうじ、忠次とも、文化7年(1810年) - 嘉永3年12月21日1851年1月22日))は、江戸時代後期の侠客である。「国定」は生地である上野国(上州)佐位郡国定村に由来し、本名:長岡忠次郎

後に博徒となって上州から信州一帯で活動し、「盗区」として一帯を実質支配する。天保の大飢饉で農民を救済した侠客として、講談浪曲映画新国劇大衆演劇などの演劇の題材となった。特に新国劇の『國定忠治』は劇団の財産ともなり、劇団解散まで繰り返し上演された。赤城天神山の場での台詞「赤城の山も今夜を限り」は歌舞伎の決め台詞ばりに普及した(後述)。

 

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寺にはすごい松

 

群馬県伊勢崎市国定町の金城山養寿寺と群馬県伊勢崎市曲輪町の善應寺がある

 


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