自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

ナイトハイク  闇の中を歩く・・・

2006-08-24 08:06:29 | グロースキャンプ
さあ、三日目の最後の大イベント

ナイトハイク

闇の中を無言で歩く・・・子ども達にとっても、ボクたち大人にとっても、緊張とワクワクドキドキの体験です。

闇を歩いたこと、ありますか?

毎年、この時期の士幌高原は、天候が安定せずに、雨、霧が多く、今年も昼間からの雨模様が続いていました。

カレーをたらふく食べた後の、実習です。
何度も経験している子ども達も、楽しみにしている実習です。

7時半
子ども達をあつめてミーティングです。

これから、ナイトハイクの実習をしようと思っています。
もちろん、やるかどうか決めるのは、君たち。
毎年来ている子は知っているだろうけれども、道は良く見えないし、クマもいる。
懐中電灯は各グループに1本だけ

そして、2.5キロメートルをずっとおしゃべりをしないで、歩きます。

誰ともしゃべらないけれども、この実習はグループの協力がとても大切です。
そして、必ずやるって決めないと、心の隙間にいろんなものが入り込んでくる。
そしてたどり着くと、そこには800歳になるミズナラの大木が君たちを持っていてくれる。

さぁ、やるかどうかを各グループで決めよう。

このミーティングは、なぜかいつも静かに行われます。
朝早くから続く実習の疲れからなのか、闇の中を歩くというまるで、通過儀礼のような厳粛な気分を子ども達が感じ取っているからなのか・・・・

士幌の闇は次第に深くなっていきます。
昼からの悪天候が続き、霧雨が降り始めています。

それでも、満月に近い月は姿は見せないけれども、厚い雲を通して、薄ぼんやりと空を明るくしてくれています。

ミーティングが終わり、すべてのグループが全員でやり遂げたい、という強い意思を表しました。

1年生も
2年生も
初参加のあの子ども達も・・・

それからは、
誰の懐中電灯を持っていくのか、
誰が先頭を行くのか、
誰が最後を歩くのか

細かい打ち合わせが続きます。

そして、全員で林道の入り口までバスで移動します。
このバスに乗った瞬間から、子ども達は、無言になります。
ひと言も話しません。
低学年は、実習の疲れからなのか、緊張から逃れたいからなのか、目を閉じています。
緊張が否が応でも高まっていきます。



毎年のこのナイトハイクの闇は、真の闇です。
手を伸ばすと、手のひらが見えなくなります。
足元は、まるで深い穴でも開いたように何も見えません。

そんな闇の中を、子ども達の20メートルぐらい後ろから、ボクたちは静かについていくのです。
正直いって・・・・怖いです。

ボクたちは懐中電灯をつけません。
ですから、はるか前を行く子ども達の薄明かりが頼りです。

ボクたちを取り巻く闇は、間違いなく何かに見られているような気配を感じさせます。
そういえば、いつだったか、闇の中に突然、真っ赤な小さな光が二つ見えたことがあります。
そのときは、ただびっくりして通り過ぎたのですが、後で聞いたところによると、それは「鹿の目」だったそうです。

あるときは、歩いているところが急に生臭いにおいでいっぱいになりました。
まるでホームレスの集団の中にでもいるようなにおい。
それは、そう・・・クマのにおいです。

いつも、士幌のオヤジたちは、笑いながら、

クマがいるからな・・・・・
こないだ2頭しとめといたから・・・・
たぶん・・・・大丈夫だと思うけど・・・・・まぁきいつけてぇ・・・

頼もしいのやら、安心してよいのやら・・・・


子ども達の歩くスピードはとてもゆっくりになります。
たった1本のロープが、彼らをつないでいます。
そのロープは、信頼という強い力で握られています。
グループは、時折蛇行しながらも、闇の中を歩き続けるのです。

時折曲がりくねった道で、子ども達の姿が消えていきます。
そう、まさに、闇の中に消えていくのです

このときばかりは恐ろしさが倍増します。

闇の中に消え、子ども達だけ、まるで別の世界にでも行ってしまうかのような、幻想的なシーンです。

懐中電灯を照らす先頭の子ども
まわりの林に光を当てたり、
草むらに光を向けたり
時には、空の雲にまで光を当てる子どももいます。
懐中電灯の光が、雲にまで届く・・・・
不思議な光景です。

歩いている途中で、イントラは

懐中電灯を消してそこで静かに森の音を聴いてごらん
とか、
懐中電灯を消したまま歩いてごらん
などと指示を出します。

子ども達は、闇の中で、お互いの息づかいを感じながら、歩きます。
ロープに伝わる一人ひとりの力で、お互いの様子を感じ取ります。

この無言のナイトハイクの間に、子ども達の心の中に何が起きているのでしょう。
恐怖と向き合い、心の中で、自分と言う存在と立ち向かっているのかもしれません。

しばらく進むと、川のせせらぎが聞こえてきます。

もやがかった闇の中を蛍が飛びかうこともあります。

そして、川を越える橋にたどり着きます。

「橋を越える」という象徴は、ボクたちを新しい次元へと転換させる意味を持っています。
今までの自分たちの歩く単調な足音や、木々の葉から滴り落ちる雨の音のなかに、すこしずつ生命を持った音が聞こえ始めるのです。

せせらぎは、ボクたちの意識を高揚させてくれるのです。

子ども達は、慎重にその橋を渡り、狭い小道をのぼり、少し開けた道に出ます。


しばらく、懐中電灯のあかりをとめて、雨の中、雲を通してやわらかい月明かりを落としている小道を歩き続けます。


そして、ボクたちはたどり着きます。
毎年、ボクたちを待っていてくれるミズナラの大木

樹齢800年といわれる大木は、ボクたちを静かに歓迎してくれます。
子ども達は一様に、木の周りに集まり、木に触れ始めます。

無言のまま、両手を広げて幹を抱きしめる子ども
苔むす幹を、手のひらで何度も何度も確かめている子ども
じっと、大木を見つめ、まるでミズナラと話をしているかのような子ども
確かな何かを感じ、涙する子どももいます

そんな瞬間を見ていると、このミズナラが生きてきた800年という時間の流れが、一瞬のうちに子ども達の心の中に流れ込み、大切な何かを伝えてくれているいるかのように見えるのです。


ミズナラは、もう一つの素敵な贈り物をボクたちに与えてくれます。
聴診器をそっと幹にあてると、ミズナラは、水を吸い上げる幻想的な音を聞かせてくれるのです。

音を探り当て、そっと聴診器を子どもに渡します。
子ども達は、一生懸命に「音」を探し始めます。
はじめは、何の反応もない表情が、見る見る輝き始めます。



きこえた?

うん

どんなおとがきこえる?

さらさらしたおと
川が流れているみたい
ぴちゃぴちゃしてる
ちょろちょろちょろ

ボクは、こんな子ども達のすばらしい輝きを何度も何度も見せてもらえるのです。

ミズナラが与えてくれる素敵なごほうびです。


無言で歩いてきた子ども達の心の中には、たくさんの感動がいっぱいになって詰め込まれています。

グループで集まって、ナイトハイクの体験を話し始めると、子ども達は一様に心の中にとどめおかれてきたたくさんの物語を一気に語り始めるのです。

誰の目も、表情も疲れてはいるものの、キラキラしているのです。



さぁ、きょうはずいぶん疲れているし、天気も悪いからバスで帰ろう


そういうと、いっせいに不満の声が広がりました。

帰りを楽しみにしてきたのにぃ


そう、帰りはいつも、疲れている子どもをバスに乗せ先にやすませることにしています。
時間は10時をとうに回っています。

他の元気な子ども達は、また歩いて帰るのですが、この帰り道が楽しいのです。
帰りはみんなで一緒に話をしながら帰ります。

子ども達がそこまで元気なのなら・・・・
大半の子ども達が歩いて帰りました。

帰り道、あれほど悪かった天気があっという間に回復し、雲が切れ、ついには満天の星・・・・

今年も、あの場所に行こう!
ボクは子ども達と一緒に星空を見に行くことにしました。

歩きの子ども達を待っているのは、トラック。
荷台に全員が乗り込み、ヌプカの展望スペースまで登ります。

そして、トラックを降りると・・・・・
そこに広がる雄大な自然と、満天の星は、たとえようのない感動を与えてくれます。

子ども達と一緒に、大地に寝転び、星を見ます。
ボクたちに驚いた、野生のウサギやキタキツネが走り去っていきます。

次々と見える流れ星に喚声が絶えません。


子ども達は、何を思い、何を感じているのでしょう。
この体験は、子ども達の心に何を残してくれるのだろうか。

ボクは、ただただ、彼らと共に過ごすこの瞬間が大好きなのです。


さぁ、もう遅いから寝よう。
明日は少しゆっくりだ。
起床は8時。
いいかな?


やったー!
ゆっくり寝れる・・・


といいながら、こいつら、はたして、ちゃんと寝るのかどうか・・・

長い、ながーい三日目がようやく終わりました。

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