前回の続き。
挑戦者の森下卓六段が、かつて屋敷伸之棋聖を評して、
「強いとは思えない」
この発言から、ある種の因縁の対決ともいえた1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。
1勝1敗でむかえた第3局は、森下が先手で相矢倉に。
第2局とちがい、森下らしいじっくりとした矢倉戦だが、当時話題になったのがこの局面。
森下が▲15銀と進出させたところ、あいさつせずに屋敷が△75歩と仕掛けたのだ。
こういうとき、教科書にはまず△14歩と突くものと書かれている。
それで▲26銀(▲14同銀の特攻もある)と先手も引いて、次に▲15歩、△同歩、▲同銀の突破をねらう。
それがこの形の「常識」というものだった。
それをアッサリ無視して、△75歩。どうぞ、▲24歩から攻めてくださいと。
ふつうは、▲24歩、△同歩、▲同銀と、飛車先の歩を交換しながら銀をさばければ棒銀は大成功としたものだが、「おばけ屋敷」の発想は一味ちがっていた。
▲24歩、△同歩、▲75歩、△同銀、▲同銀、△同角、▲24銀に、△同銀ではなく、△23歩と打つ。
▲33銀成と取らせてから、△同金寄と取るのが、屋敷が目指していた形。
棒銀をさばかせているのは同じだが、この△32金、△33金のタテ型金無双のような囲い。
これが、実はすこぶる耐久力に優れていたことを、屋敷は見抜いていたのだ。
これは当時の観戦記でも「なるほど」と感心されており、今だとこの形が固いのはわかるが、それをいち早く察知していたところに、屋敷の才能と特異性があった。
ここからも屋敷は、その異形の力を存分に発揮していく。
意外と二の矢がない森下は▲65銀と、ややもたれ気味に指す。
△64角がきびしい手なので、それを防いだわけだが、攻防に中途半端な銀。
よろこんで指したい手ではなさそうだが、単に▲46角も△64角とぶつけられて困る。
屋敷は△69銀と、カサにかかって攻めはじめる。
矢倉くずしの手筋だが、おそろしいことに、なんところが詰めろになっている。
放置すると、△97角成から△78飛成まで。見事なVの字斬りが決まる。
それはいかんと▲77歩と受けるが、こういうところの辛抱の良さは森下の強みでもある。
飛車角の直通を遮断して、ここさえ受け止めてしまえば、そう簡単にはつぶれまいというところだが、続く手が、またも森下の意表を突いた。
△58銀打が、なんともすさまじい手。
強情というか、強引というか、とにかくひとつぶしにしてやろうという意志の継続。
先手からすれば、妥協して▲77歩と謝っているのに、
「ゴメンですんだら、警察いらんわ!」
とばかりに、ねじこんできたのだから、むかっ腹も立つというというものだ。
いや、腹立たしい以前に、そもそも▲57金とかわして、そこで継続手があるのか?
森下もいぶかしんだだろうが、屋敷はここから巧妙に手をつなげていく。
まず△64歩と突いて、もし▲76銀なら、そこで△66角(!)の強襲がある。
すごいタダ捨てだが、なんとこれで後手が勝ちになるのだ。
▲同金に△78銀成と取って、▲同玉に△76飛とこっちも切り飛ばし、▲同歩に△69銀打。
▲88玉、△77歩で寄り。
それはたまらんと、△64歩に▲54銀だが、そこで△52飛とまわって後手好調。
▲53銀打や▲63銀打は、△同飛や△54飛と切り飛ばして、やはり△78銀成から△69銀打で決まる。
▲63銀成しかないが、そこで△56飛(!)と今度は飛車をタダ捨てにして飛び出すのが、まだ四段時代の藤井聡太八冠が指しそうな、あざやかな一撃。
▲同金は△78銀成、▲同玉、△67金でとどめを刺される。
こんな好き勝手に攻めこまれては、いよいよマイッタかと、うなだれそうなところだが、ここから森下が根性を見せる。
▲58飛(!)と、タダでもらえる飛車ではなく、逆モーションで銀を取るのが、ギリギリの切り返し。
△同銀成に今度は▲56金と時間差で飛車を取り返して、まだふんばりがきく形だ。
このあたり屋敷の攻めも芸術的だが、森下の受けも見事なもの。
もう並べながらシビれまくりで、両者の才能がほとばしっている様が、いかにもまぶしいではないか。
おもしれー将棋だなー、マジで。
以下、森下も間隙を縫って反撃に身を投じ、勝負は次第にわからなくなってくる。
そうして将棋はクライマックスをむかえた。
次の手が、勝敗を決する大きなドラマを生むことになるのだが、これもまた、森下が読んでいない手だった。
そしてそれを、おそらくは「ありがたい」と感じてしまったところに、大きな罠があったのだ。
(続く)