昔、別サイトに載せたものをそのまま載せてみようかな・・・。
(2011年5月3日投稿)
子供の頃、グリム童話の全集が家にあったのでおとぎの世界をたびたび楽しんでいた。
(2011年5月3日投稿)
子供の頃、グリム童話の全集が家にあったのでおとぎの世界をたびたび楽しんでいた。
童話や民話というのはある種の真理や戒め、教訓などがそこかしこに埋め込まれている。時には目に見えるように少し顔を出していたり、時には深く潜り込まなければ気づかないところに隠してあったりする。そしてそれは話を受け取る側によって、そのあるものを見せたり見せなかったりするのではないかと思う。
悪者の題材としてオオカミがたびたび登場するが、最後には痛いお仕置きが待っている。そしてよかったよかったと幕は下りるが、時々私はモヤモヤとした気持ちが残るのを感じていた。
たとえば7匹の子ヤギや赤ずきんちゃんでは、悪さをしたオオカミは腹を裂かれるが、これは救出の為だから仕方がない。ここで終わりならオオカミが死んでしまっても私のモヤモヤは起こらない。
しかしその後石を詰め込まれ腹を元通り縫われた挙句、目覚めて水を飲みに川へ行ったオオカミは石の重さで川に落ち、嫌われ者だからと誰にも助けられず死んでしまう。
これは話としてやり過ぎではないだろうか。
知らぬままに死んでしまう事は許されず、一度苦しみを与えるために生き返らせ、そして再び殺すのだ。犯した罪以上の罰を善の名のもとに「当然のこと」としてとり行っているような気がしてならない。
もちろん人を傷つけてはいけないという事を徹底的に知らしめているのだろうが、これは取りようによっては、先にやられたならそれ以上にやり返してもよい、という事にはならないだろうか。
そしてここでのポイントは、子ヤギたちは無事だったと言う事だ。
死んでしまったのなら話は少し違ってくるし、原初の赤ずきんちゃんはそうだったらしいが、無事に生きて助けることが出来、しかも恐怖を与えたその存在はもう死んだのだから、それでいいのではないのか? なぜわざわざ生き返らせる必要があるのだろう。
手塚治虫氏の「ブラック・ジャック」でもこの思いと似た話がある。
凶悪殺人犯を追い詰めたが崖の上から転落し瀕死の重傷を負う。もしかしたら過去を悔い自分から身を投げたのちに発見されたのだったかもしれないが、とにかくもう死んだも同然だからこのまま死なせてやれとB.Jは言うが、どうしても裁判にかけて法の裁きを受けさせると言うのでしぶしぶ命を助ける。
しかし結局死刑になって彼は二度死ぬことになる。なぜ生き返らせたんだと苦悩するB.Jが印象に残っている。
3匹の子ぶたでは、ちゃんとオオカミも恐怖と教訓を与えられ助かっている。こんなのがいい。
悪さをしたオオカミを懲らしめてやろうと、石を詰めるように子ヤギや赤ずきんちゃんに指示する大人たち(母ヤギやおばあさん)に対して、子供心に得体の知れぬ恐怖を感じていたのは私だけだろうか。
悪者の題材としてオオカミがたびたび登場するが、最後には痛いお仕置きが待っている。そしてよかったよかったと幕は下りるが、時々私はモヤモヤとした気持ちが残るのを感じていた。
たとえば7匹の子ヤギや赤ずきんちゃんでは、悪さをしたオオカミは腹を裂かれるが、これは救出の為だから仕方がない。ここで終わりならオオカミが死んでしまっても私のモヤモヤは起こらない。
しかしその後石を詰め込まれ腹を元通り縫われた挙句、目覚めて水を飲みに川へ行ったオオカミは石の重さで川に落ち、嫌われ者だからと誰にも助けられず死んでしまう。
これは話としてやり過ぎではないだろうか。
知らぬままに死んでしまう事は許されず、一度苦しみを与えるために生き返らせ、そして再び殺すのだ。犯した罪以上の罰を善の名のもとに「当然のこと」としてとり行っているような気がしてならない。
もちろん人を傷つけてはいけないという事を徹底的に知らしめているのだろうが、これは取りようによっては、先にやられたならそれ以上にやり返してもよい、という事にはならないだろうか。
そしてここでのポイントは、子ヤギたちは無事だったと言う事だ。
死んでしまったのなら話は少し違ってくるし、原初の赤ずきんちゃんはそうだったらしいが、無事に生きて助けることが出来、しかも恐怖を与えたその存在はもう死んだのだから、それでいいのではないのか? なぜわざわざ生き返らせる必要があるのだろう。
手塚治虫氏の「ブラック・ジャック」でもこの思いと似た話がある。
凶悪殺人犯を追い詰めたが崖の上から転落し瀕死の重傷を負う。もしかしたら過去を悔い自分から身を投げたのちに発見されたのだったかもしれないが、とにかくもう死んだも同然だからこのまま死なせてやれとB.Jは言うが、どうしても裁判にかけて法の裁きを受けさせると言うのでしぶしぶ命を助ける。
しかし結局死刑になって彼は二度死ぬことになる。なぜ生き返らせたんだと苦悩するB.Jが印象に残っている。
3匹の子ぶたでは、ちゃんとオオカミも恐怖と教訓を与えられ助かっている。こんなのがいい。
悪さをしたオオカミを懲らしめてやろうと、石を詰めるように子ヤギや赤ずきんちゃんに指示する大人たち(母ヤギやおばあさん)に対して、子供心に得体の知れぬ恐怖を感じていたのは私だけだろうか。
こんなことを考えてたんだなぁ・・
と懐かしい思いがしました。