「森友学園」の一件以来、「忖度(そんたく)」という言葉をよく聞くようになった。この言葉を隠れ蓑にして、多くの真実が闇に葬られそうだ。「忖度した」と言いさえすれば、説明不用もしくは説明不能となり、体よく場を繕えそうだから、胡散臭いとしか思えない。 「忖度」は外国人にはいくら説明しても全くちんぷんかんぷんだと聞く。「忖度圏外」にいる日本人にだって真相は不明なのだから無理もない。 近しい言葉に、「斟酌する」「察する」「汲み取る」「推し量る」「空気を読む」などがある。 背景には悪意どころか良かれと思ってという善意さえあったりするので実に厄介だが、どれも言葉を介さないまま何事かを成そうとし、グレーあるいは玉虫色をしてる点では共通している。だから、構造的に脆いし儚い。 日本はいまだに「忖度天国」なのではないか、と考えだすと思い当たるフシがたくさんあり、薄ら寒くなる。今回は、マスコミで「忖度」という言葉がクローズアップされ、手垢に塗れたことだけが唯一、よかったことかも知れない。 「忖度、そんなの関係ねえ(旧い)」とネット上で部外者がディスるのではなく、「忖度する側・される側(忖度族)」がウヨウヨいる、「忖度の価値と利用率」の高い公的な職場で違和感を表明し、行動に移せるような人たちがいれば、希望ではないか。
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