哀しいくらい青い空の下
僕は清潔な空気に触れながら青い林檎を齧った
此処が現実なのか遠い国の出来事なのか
今日も分からずにただワインを舐めている
お腹が空けばフランスパンを齧って
安い酒で胃袋を満たした
知らない国の知らない鳥の鳴き声が聴こえた
飽きもせず空を眺める僕に
君は微笑み声をかけた
あんたの世界はまるで夢だね
夢?
そう。
あんたの構成物質でこの世界は構成されているんだ。
君はそう云って齧りかけの僕の林檎を奪い取った
それからシガレットケースから葉巻を2本取り出し
1本に灯をつけ
僕に手渡した
キューバ産のパルタガスを燻らせ
ただ静かに水面の表層を撫でた
哀しいくらい青い空の下で
あんたはこの空虚な世界を愛しているのかい?
誰も彼もが立ち去った今生に
いつまでもしがみ続けるのかい?
まるで
荒唐無稽な物語を創り出す
チャールズ・ラトゥジ・ドジソンや
サン・テグジュヴェリの様に
いつまでも此処にいるつもりなのかい?
僕は分からない、
と呟いて白く灰になった葉巻の先端を
丁寧に白い灰皿に落とした
まるで忘却された記憶の欠けらの様に
あんたが望むなら
おいらはあんたのその悪夢から逃れさせてあげるよ
そうしてまた新しい世界を覗かせてあげるよ
黒猫のハルシオンがジャック・ダニエルを舐めながらそう云った
悪夢?
そう。
あんたが探しあぐねた路地裏の界隈を抜け
あんたが永遠に探し続ける誰かの影に
追い着けれる様に時間と空間を超越させてあげれるのさ
猫は美味そうに葉巻を燻らせ
紫色の煙を舌先だ転がした
上等の葉巻だね。
猫は独り言を呟き僕の深層心理を模索し始めた
全てはね、夢なのさ。
この世界は青い月明かりの下の世界
誰かを待ち続ける街角の街灯なのさ
あんたは一歩も動けずただ立ち尽くしているんだ
悪夢だよ
決して目覚めること無い世界の緩衝
もう魂は血流が無くなって
感覚すら探し出せないんだ
僕は
ピアノに向かって歩き出し
鍵盤の正しい音を探して歌を紡ぐ
静かな界隈
雑踏とした意識の向こう側
不意にフィルムの中に
あの影を見つけた
もう永遠に会うことが叶わない意識伝達
君は何処の物語の世界に紛れ込んでしまったのか
お酒を浴びるほど飲んだ時だけ
磨耗された記憶の絞りかすが存在を訴える
ねえ
何処にいるの?
僕の問いには答えず
君の影がしらんぷりして歩き出す
僕は12の扉を一つずつ開け
その全てに困惑する
どの世界が現実なのか
失われた世界をさまよっている
哀しいくらい青い空の下
もっと飲みなよ
誰かがそう云ったけれども
それが誰なのかすら分からない
オイルサーディンの缶詰めを空けて
僕らはいつまでも飲み続けた
誰も騙そうとはせず
誰も騙されなかった
注ぐ酒が切れるまで
僕らは優しい夢をみた
僕らは僕らの世界の存続の為に
この世界からの脱出を試みた
偽造パスポートの不備で
僕だけがこの日常に取り残されたのだ
青い空の下
悲しみだけが伝染した
ねえハルシオン。
僕の額にはしるしがつけられているのかい?
猫は哀しそうに答えた
残念だけれど
あんたは預言者ノアの箱舟には乗り込めない
あんたの額のしるしは原罪なんだ
それを誰かが贖罪する日は永遠に来ないんだ
だからあんたは水の底の世界の静けさに
魂を拘束されているんだ
そうしてそれを本当に望んだのは
あんた自身なのさ
深夜に豆のスープを飲んだ
胡椒が利きすぎている
昼食を終えると
僕は図書室でヘルマン・ヘッセの「蝶」を眺めた
君が微笑んだ
長い前髪が風に揺れた
今夜も眠れそうも無い
深酒を繰り返し
僕は途方に暮れる
旅立つ箱舟を見送りながら
いつまでも夢の中でまどろんでいる
いつか世界の終わる頃
ぼくは水の中から青い空を見上げ
忘却された記憶の箱を抱いている
大好きだよ
君の事
もしもね
世界が終わっても
君だけを探しているんだ
可笑しな話だけれども
探しているんだ
青い空の下
哀しみの染みが
どんなに洗濯を繰り返しても
消えないんだね
額のしるしは
哀しいくらい青い空の下で