窪川・松葉川山小学校
2017/10/4(水) 午後 11:44
地理院地図 昭和48年
かつてここは総延長39.38キロ(森の轍より)の林用軌道である窪川営林署森ヶ内林道が稼働してた場所
軌道は影野駅前から延びる
ここからは基本的には林用軌道を車道に転用した道を通り学校跡に向かう事になる
山越えにはなるが、林用軌道跡になるので、緩やかでなだらかな道が続く
松葉食堂に到着
ここも軌道沿線にある場所で、軌道が稼働していた時期から存在していた地元の食堂である
押し寄せる過疎化の波の中で細々と経営してる店かと思いきや
地元の方で大賑わいの、地域の食堂のような場所なのである
【松葉食堂】
http://www.geocities.jp/matsubashokudo/
トイレは階段を降りて
建物の下を流れる
用水路の横にあったりするのである
大盛ラーメンを食べ、食堂を後にし、軌道跡の道路の先には
松葉川橋
昭和32年3月に完成した橋だ
この橋の上を軌道が走っていたかどうかはまだ分からないが・・
下には天然のプール
このような光景を見ると現代の水難事故は
学校にプールを造りそこで水泳の授業をするようになってからだと言う事は時系列で考えれば分かる事ではある。
が、しかし、学校にプールが建設される事になった発端は、紫雲丸事故で多くの児童、生徒が命を落としたから、学校にプールを造りそこで水泳を教えるようになったからという事実とは矛盾してしまう内容にはなってしまう
地元の川や海で元気に泳ぎ、水難事故等まず基本的には存在していなかった時代と
その後、海や川で泳ぐ機会が極端に減り、学校のプールで水泳を学び、初めて行く海や川で水難事故で命を落とす事の多発する現代と
一体どちらの時代が正しかったか誰が考えても明白な話ではある。
でもこれは、その事は明白な事実だとしても複数の要素が複雑に絡み合っている問題でもある。
でもやはり
過疎化による学校の閉校、廃校の増加と
川や海での水難事故の増加は
並行して同時に進行した問題である事は間違いない
軌道跡でもある車道を進む
軌道跡であるから当然、極端な勾配やカーブはない
またこのような当時からの造形物も存在する
明治、大正時代の面影かもしれない
学校跡への道のりは多少軌道跡から逸れながらのものだった
在りし日の松葉川山小学校
といきたいところだが、当時のまんまである
建物の前に学校の歴史の案内がある
でも見ずらいからこっちにしよう
生徒数の推移
昭和47年の児童数の倍増と
昭和49年に児童数の激減の原因が気になるところである
校歌
建物は当時のまま
この様な昭和時代の木造小学校校舎がかつての山里で自然の中で風化してくのは勿体無いとい気持ちが大いにある
鉄筋コンクリート校舎も良いが、児童数の少ない山間部の小学校はこのような趣のある木造平屋建て校舎が素敵でお似合いでなないかとさえ感じる
松葉川山小学校の校歌にもあったように
楽しい山小屋でもいいだろう!!!
一体どの様な環境の中で、この様な劣化が進んだのだろう・・・
校庭
かつて林用軌道の走っていた周辺の状況が少し分かってきた
校庭の端に掛かる観光橋を渡ろう
そして分かる者には分かるこの人工的な道
観光地化された後に造られたこの小橋の土台は
この場所が観光地になる以前から存在してた
林用軌道時代からのもので
初めてここを歩く者でも、この道が造られた当初の目的が、歩道ではなく、何か、大きく、重たく、量のあるものを運ぶ為に作られた道であるという事がはっきりと分かる状態のまま、現代にも残されている。
この看板でやっとわかった「記念橋」
温泉ホテルに到着するが、何やら宗教の匂いがするな・・・・
記念橋に向かおう
何故なら、その近くに、先程の場所に移転してくる前の学校跡地があるからだ
軌道跡(松葉川林道)を進む
この掘割は林道として出来たもので
その横にこの場所を迂回していたかつての軌道跡がある
記念橋に到着
しかしこれは
その後の昭和52年に掛けられたもので
軌道時代の橋の土台は下流側にある
橋を渡ると軌道跡に合流し
こちら側の橋の起点は
しっかりと現存している
そしてその対岸の橋の起点もしっかりと現存しており
是非とも軌道時代の木製の橋を再現し、観光資源として利用してみてはいかがだろうか
記念橋に行き、この写真を手掛かりに、かつての移転前の学校跡地を探してみようと思っていたが、今回は不発に終わってしまった。
かつて戦前にこのような授業風景の撮影された、そんな学校のあった場所の事である
というか、ここまで来ておいて、この限られた場所での全くの見当違いの場所を彷徨っていたようである・・・・・・
(つまり学校跡の反対側・笑)
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10月23日追記
地理院地図「米の川」昭和48年
そして改めて地図を見直してみると
記念橋左上に集落跡があり、学校跡もこの中にありそうだ。
そして対岸にはなんと「♨」マークがあるではないか。
ここが本来の「松葉川山温泉」という事か。
要再訪の場所である。