皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

窪川・丸山小学校

2019-07-16 12:36:14 | 窪川の学校

窪川・丸山小学校

2018/5/17(木) 午後 6:07


平成24年休校

平成26年廃校


現在は丸山小学校の地図は必要ないが、10年後、20年後にはこれが必要な時代になっているかもしれない。


校庭は舗装され駐車場になっている。



校門から入った場所に学校の石碑がある


丸山尋常小学校







校歌



学校の歴史


プールが完成したのは平成9年


学制発布の明治5年以降、この地域で学校というものが始まったのは明治9年のようだ。


屋内は照明も付いていて、その後も活用されているようだ。


時計は現在も稼働している



因みに体育館が完成したのは平成元年


昭和55年、新校舎完成時の児童数は68名

平成元年 54名 

平成10年 36名

平成23年 34名


奥に見えるジャングルジムが完成したのは平成19年の事。



卒業生の共同作品










自分の小学生時代、自分の通う小学校には、皆が仲良く遊べる広い校庭があり、25mのプールがあり、雨の日でも思う存分遊びまわれる体育館があり、そして自分がその小学校に通う「児童」である事がステイタスシンボルであったような感覚を持ち合わせていた事を思い出す。


例外を省いた全員の日本人にとって、小学校時代というのは人生の中で最高に楽しかった時代になるだろう。


それは何処に行っても「小学校」の事を尋ねると、全くの初対面であってもまるで知人同士の会話にも見えるような状態が始まってしまう事からも覗えてしまう。




平成9年に完成したプール




当然飛び込み台が設置されている。



プールでの「飛び込み禁止キャンペーン」は確か平成の時代(多分一桁)に始まったのではと回想出来るが、プールが完成するまでは前の川で普通に泳ぎ、潜り、飛び込みをしていた丸山小学校の児童達にとっては、

「危ないのでプールで飛び込みをしてはいけません!!って???????」

全く意味の分からない事だったに違いない。


プール完成は平成9年

新校舎完成は昭和55年

体育館完成は平成元年



集落北からの学校








昔は「ハイタツ城」とういものがあったそうだ。


この地域に「丸山小学校」という学校が存在した期間が140年以上続いた訳だが、その事が、その後、どの様に未来に繋がっていくかを、しっかりと見届けていきたいものだ。


窪川・口神ノ川小学校

2019-07-16 12:34:18 | 窪川の学校

窪川・口神ノ川小学校

2017/10/4(水) 午後 1:19

平成24年休校・平成26年廃校(同、丸山小学校)


381号線沿いの学校があって当然のような場所に学校はある


口神ノ川小学校


しかし、そのには児童の影はなく、なにやら最近建てられた雰囲気のある石碑があり




明治九年に始まった学校の歴史は



平成二四年に閉校




窪川小学校に統合となったようだ


いまはなんでもかんでも、ビニール袋に詰めてゴミ出しし、清掃工場で焼却しているが


昔は当番で学校でゴミを焼いていたもんだ



子供が火を扱う事が当たり前だったその頃と

危ないから止めなさいという現代

当時の小学生は学校で「勉強」以外の事を、より多く学んでいた!!





体育館



口神ノ川小学校出身の一輪車の達人たちも


もう高校生以上となり


この広かった運動場も、少々狭く感じる程に成長している頃である









窪川・松葉川中学校

2019-07-16 12:33:28 | 窪川の学校

窪川・松葉川中学校


2017/10/4(水) 午後 9:37


昭和45年 窪川中学校に統合(同、東又中・仁井田中・志和中・川口中)



その場所は(上の「文」は米奥小学校)

現在は民間企業になっている


所々に昔ここが学校であった頃の面影を残っていた。

在りし日の松葉川中学校



かつてこの場所は中学校であった!!!

窪川・松葉川山小学校

2019-07-16 12:31:35 | 窪川の学校

窪川・松葉川山小学校


2017/10/4(水) 午後 11:44


地理院地図 昭和48年


かつてここは総延長39.38キロ(森の轍より)の林用軌道である窪川営林署森ヶ内林道が稼働してた場所



軌道は影野駅前から延びる


ここからは基本的には林用軌道を車道に転用した道を通り学校跡に向かう事になる



山越えにはなるが、林用軌道跡になるので、緩やかでなだらかな道が続く




松葉食堂に到着


ここも軌道沿線にある場所で、軌道が稼働していた時期から存在していた地元の食堂である



押し寄せる過疎化の波の中で細々と経営してる店かと思いきや


地元の方で大賑わいの、地域の食堂のような場所なのである

【松葉食堂】

http://www.geocities.jp/matsubashokudo/



トイレは階段を降りて



建物の下を流れる


用水路の横にあったりするのである



大盛ラーメンを食べ、食堂を後にし、軌道跡の道路の先には


松葉川橋


昭和32年3月に完成した橋だ


この橋の上を軌道が走っていたかどうかはまだ分からないが・・


下には天然のプール


このような光景を見ると現代の水難事故は

学校にプールを造りそこで水泳の授業をするようになってからだと言う事は時系列で考えれば分かる事ではある。

が、しかし、学校にプールが建設される事になった発端は、紫雲丸事故で多くの児童、生徒が命を落としたから、学校にプールを造りそこで水泳を教えるようになったからという事実とは矛盾してしまう内容にはなってしまう


地元の川や海で元気に泳ぎ、水難事故等まず基本的には存在していなかった時代と

その後、海や川で泳ぐ機会が極端に減り、学校のプールで水泳を学び、初めて行く海や川で水難事故で命を落とす事の多発する現代と


一体どちらの時代が正しかったか誰が考えても明白な話ではある。


でもこれは、その事は明白な事実だとしても複数の要素が複雑に絡み合っている問題でもある。

でもやはり

過疎化による学校の閉校、廃校の増加と

川や海での水難事故の増加は

並行して同時に進行した問題である事は間違いない






軌道跡でもある車道を進む

軌道跡であるから当然、極端な勾配やカーブはない

またこのような当時からの造形物も存在する


明治、大正時代の面影かもしれない


学校跡への道のりは多少軌道跡から逸れながらのものだった




在りし日の松葉川山小学校

といきたいところだが、当時のまんまである



建物の前に学校の歴史の案内がある


でも見ずらいからこっちにしよう


生徒数の推移



昭和47年の児童数の倍増と

昭和49年に児童数の激減の原因が気になるところである




校歌




建物は当時のまま


この様な昭和時代の木造小学校校舎がかつての山里で自然の中で風化してくのは勿体無いとい気持ちが大いにある




鉄筋コンクリート校舎も良いが、児童数の少ない山間部の小学校はこのような趣のある木造平屋建て校舎が素敵でお似合いでなないかとさえ感じる







松葉川山小学校の校歌にもあったように

楽しい山小屋でもいいだろう!!!




一体どの様な環境の中で、この様な劣化が進んだのだろう・・・



校庭


かつて林用軌道の走っていた周辺の状況が少し分かってきた




校庭の端に掛かる観光橋を渡ろう



そして分かる者には分かるこの人工的な道




観光地化された後に造られたこの小橋の土台は


この場所が観光地になる以前から存在してた


林用軌道時代からのもので


初めてここを歩く者でも、この道が造られた当初の目的が、歩道ではなく、何か、大きく、重たく、量のあるものを運ぶ為に作られた道であるという事がはっきりと分かる状態のまま、現代にも残されている。


この看板でやっとわかった「記念橋」





温泉ホテルに到着するが、何やら宗教の匂いがするな・・・・



記念橋に向かおう


何故なら、その近くに、先程の場所に移転してくる前の学校跡地があるからだ



軌道跡(松葉川林道)を進む


この掘割は林道として出来たもので


その横にこの場所を迂回していたかつての軌道跡がある


記念橋に到着


しかしこれは


その後の昭和52年に掛けられたもので


軌道時代の橋の土台は下流側にある




橋を渡ると軌道跡に合流し


こちら側の橋の起点は


しっかりと現存している


そしてその対岸の橋の起点もしっかりと現存しており


是非とも軌道時代の木製の橋を再現し、観光資源として利用してみてはいかがだろうか



記念橋に行き、この写真を手掛かりに、かつての移転前の学校跡地を探してみようと思っていたが、今回は不発に終わってしまった。



かつて戦前にこのような授業風景の撮影された、そんな学校のあった場所の事である



というか、ここまで来ておいて、この限られた場所での全くの見当違いの場所を彷徨っていたようである・・・・・・

(つまり学校跡の反対側・笑)


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10月23日追記

地理院地図「米の川」昭和48年


そして改めて地図を見直してみると

記念橋左上に集落跡があり、学校跡もこの中にありそうだ。




そして対岸にはなんと「♨」マークがあるではないか。




ここが本来の「松葉川山温泉」という事か。




要再訪の場所である。