皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

本川村 殿御舎小学校

2019-05-26 22:08:22 | 本川村の学校

本川村 殿御舎小学校


2016/7/7(木) 午前 1:20


開校 昭和29年4月1日 児童25名

昭和30年 殿御舎小中学校 児童26名 生徒17名

昭和48年5月2日 殿御舎小学校・本川中学校殿御舎分室廃止

(本川村史より)

ここは長沢林用軌道がこの場所まで延びてきて、それに伴い関係者のための住宅が出来、学校が開設され、軌道撤去、事業所廃止になり、廃校になった学校のようだ。




吾北村 東谷小学校跡地訪問の際、奥大野まで行ってきたので、194号からより、一番状況が分かっている奥大野越えで殿御舎に向かう事にする。


地理院地図「筒上山」 昭和46年



こんな感じ



当時の航空写真


これだけ分かれば、「迷子」になる事はないだろう。

奥大野から進む。

すぐにダートが始まる。



ここまで来た!!


大森川ダムの横を通り


現在地を確認しながら進む


弘沢林道の分岐を過ぎ


名の谷橋



名の谷橋を通り、興南橋



対岸に渡り、檻山谷橋



橋は「岩瀬谷橋」以外は昭和33年架設のようだ




擁壁があり


この手前と、その奥に登り口があり、その上が学校跡地っぽい!!


こっちは学校、もしくは学校関係の建物があったんだと思う。

教員宿舎は、、この場合は、住民の住宅と同じ場所にあったと考えるのが正しいんだろうか???

とにかく、来た時期が悪い。


便器発見


降りて反対側の登り口から入る事にする


少しだけ下流にある、この時期に写真を撮っても何が何だか識別できない状況の登り口の先に、校庭の遊具があった。


冬場だったら、もっといろいろ発見できたかも・・・


道に戻り、先の住宅跡へ


岩瀬谷橋




林用軌道のレールが使われている


ここだけ昭和45年、その他の橋は昭和33年だ




住宅跡へ


上に雨水が入るようになっていたから、雨量測定器だろう


奥に入る

住宅の基礎が残っている



暁橋を渡る




通行禁止


その先には建物を撤去した跡が。

現代版の地図の建物の影はこれだろう!!


そして宮谷橋を通り、奥の住宅跡へ


等高線から分かるように土地が開けている


奥南川山林保安管理棟


完全に更地になっている


後ろの擁壁は当時のものっぽい!!


その先は通行止めだが、その手前を右には行ける。


この「殿御舎」、「殿小屋」という呼び方もあるようだい。

でもその「殿小屋」は昭和11年の地理院地図以前には載っていない。

というか、この周辺の「地名」そのものが無い。

「宮谷」に至っては、まだその後になる。



そしてその「殿小屋」の場所も

昭和34年の地理院地図「石鎚山」

大森川ダムの完成は昭和34年


現代版の地図では


完全にダムの底



この「殿御舎」「殿小屋」という地名、、また越裏門小学校のあった「越裏門」の地名の由来は、源平合戦の安徳天皇の話にまで遡るらしい。


でも、昭和11年以前の地理院地図には、全くこの周辺の地名が無いし、民家の跡さえ記載がない。

もしかして昭和34年に完成した「大森川ダム」の建設に関連して、住んでいた人はいたかもしれないし、長い歴史の中で、人が住んでいた事は無かったとは言えないとは思うが、少なくともこの周辺に「集落」というものがあったかというと、それは甚だ疑問に思う。


何故なら周辺に全く「神社」が無いから。


長沢林用軌道が開設され「殿御舎」と呼ばれていたこの地域。

やがて軌道は廃止され、ここに人が住んでいて「小中学校」があった事さえ忘れ去られようとしているが、この地域の「伝説」だけは生き続けていくようだ。

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在りし日の殿御舎小中学校




平成29年8月30日追加(いの町史より)


本川村 寺川小学校

2019-05-26 22:07:16 | 本川村の学校

本川村 寺川小学校

2016/7/6(水) 午後 11:57


開校は明治10年頃。脇の山尋常小学校(本山小学校)の分教場として開設。

昭和53年 越裏門小学校に統合


ここを登っていく。


到着



ここだけを見ると、町に見えるが実際は山の中



校門


全景



当時の寺川小学校


石碑 寺川小学校跡


そして峯泉寺跡でもある



いまは寺川老人憩いの家になっている



ここから校庭をみると、セキスイの住宅まであり、町に見えるのだが、実際は昔この校庭に児童達の声が溢れていたとは想像し難い場所。

でも過去には、この寺川にも林用軌道が走っていたのだから、状況は「今」と全く違う。


この奥に、バンガローと吉野川の源流があるようだ!


もう少し



アメゴの養殖場もある


すぐに橋を渡ってバンガロー


そして、昭和34年発行の地理院地図「石鎚山」

寺川の林用軌道の記入がある。

実際の長沢林用軌道はこんなものではなく、吾北村の吾北小学校のさらに手前から延びるかなり規模の大きい軌道だが、なかなかその線を地理院地図で繋ぐ事は難しいようだ。


これぐらいの距離なら、ピンポイントで調査出来そうではあるのだが・・・・




なんなんだ、、この、その後に出来たらしい、その軌道の先にある100m規模の「隧道」は・・・・







本川村 越裏門小学校

2019-05-26 22:06:13 | 本川村の学校

本川村 越裏門小学校

2016/7/5(火) 午後 11:55




開設は明治10年前後(本川村史によると、本川村の小学校には開設当時の記録が残っていないそうだが、大体その時期らしいとの事)。

当時の脇の山尋常小学校の分教場として始まる。

平成14年 休校 実質的には長沢小学校に編入。


素晴らしい!!!



もう一回!!


当時の風景!!



橋を渡って左側は中学校


(↑いの町史より・平成29年8月30日追加)

地理院地図「石鎚山」 昭和34年




昔はもう少しだけ下流にあったようだ。




本川村 桑瀬小学校

2019-05-26 22:05:21 | 本川村の学校

本川村 桑瀬小学校



2016/7/5(火) 午後 11:44



道の駅 「木の香温泉」の前が桑瀬小学校跡。





隣に石碑がある。


石碑には開校明治31年とあるが、本川村史によると、本川村の学校の開設は明治10年前後で、桑瀬、長沢、寺川、越裏門は、脇の山尋常小学校(本川小学校)の分教場として始まったそうだ。

そして桑瀬小学校は昭和42年、本川小学校に統合となる。




在りし日の桑瀬小学校




本川村 本川小学校

2019-05-26 22:04:14 | 本川村の学校

本川村 本川小学校

2016/7/5(火) 午後 11:02


平成14年 休校 実質的には長沢小学校に編入

本川村史によると、村内の学校には開校当時の記録が残っていないようだが、実質的な開校はほほ明治10年頃らしい。

また、当時は本川小学校は、脇の山尋常小学校で、長沢、桑瀬、寺川、越裏門の小学校は、脇の山尋常小学校の分教場として始まってそうだ。



現在の状況からすると、ここにこの規模の小学校がある事に驚くが、ダムの完成は昭和15年なので、昔は相当賑わった街だったんだろう。



立派な校舎


昭和55年。




もうすぐタイムカプセルの開封の時だ!!


体育館


東側にプールがある


夏場は解放してるかな??水はきれいだ!!


で、これは教員宿舎だと思う!!


大川村側から走ってくると学校の全景がよく見える!!