皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

土佐山村 中切小学校

2019-05-26 14:10:07 | 土佐山村の学校跡地

土佐山村 中切小学校


カテゴリ高知県

2016/8/25(木) 午後 10:02

学校の歴史


明治15年 中切、東川の尋常小学校が合併し中切小学校となる。(それ以前は不詳)

明治21年 校舎改築・総工費65円

昭和 4年 電灯設備が出来る

昭和11年 教員住宅建設・工費100円

昭和40年 弘瀬小学校と名目統合し、土佐山西小学校となる。校舎は41年に完成し移転。


地元の方に話を聞くと、古い石垣があるからわかるとの事。



この消火栓のある坂の上の石垣が当時のものだそうだ。


昭和11年の写真。校舎は明治21年に建てられたものだろう。



格子窓の懐かしい校舎(年代不詳)

土佐山村 弘瀬小学校

2019-05-26 14:09:07 | 土佐山村の学校跡地

土佐山村 弘瀬小学校


2016/8/25(木) 午後 10:18


弘瀬小学校の学校の歴史


明治 8年 創立

昭和 4年 電灯設備ができる

昭和25年 学校炊事場が新築落成

昭和30年 運動場の外柵、水槽、手洗い場完成

昭和31年 教員住宅が落成

昭和32年 学校、教員住宅の上水道完成

昭和33年 学校便所、倉庫、薪小屋が完成

昭和34年 住宅風呂場が新築落成

昭和37年 9月10日、学校ミルク給食実施

昭和40年 9月1日 中切小学校と名目統合し、土佐山西小学校

      校舎完成まで両教場で分散授業

昭和41年 5月3日、奈路405番地に鉄筋コンクリート二階建て完成




この石垣が当時の面影


在りし日の弘瀬小学校


半世紀前の話である!

土佐山村 土佐山西小学校・土佐山中学校

2019-05-26 14:07:34 | 土佐山村の学校跡地

土佐山村 土佐山西小学校・土佐山中学校


2016/8/25(木) 午後 11:14



学校の歴史

昭和40年 9月1日、中切小学校と弘瀬小学校が名目統合し土佐山西小学校開設

昭和41年 5月3日、奈路405番地に鉄筋コンクリート二階建ての校舎完成

昭和42年 鏡、土佐山二村学校給食センターを設立。

      給食センターで共同調理方式により両村小学校の完全給食実施。

昭和51年 9月1日、すみれ寮を廃止してスクールバス通学

      9月12日、台風12号で床上68cm浸水

昭和54年 土佐山西小学校、土佐山東小学校を統合し土佐山小学校となる。

・土佐山中学校は昭和22年5月1日、桑尾小学校に設置

・土佐山小学校の新校舎は土佐山中学校跡に昭和56年鉄筋3階建てを建設


土佐山西小学校の奈路405番地は平成28年に廃校になった土佐山中学校


全景

昭和51年の台風12号で床上浸水したそうだ


土佐山西小学校として完成した校舎は昭和54年から土佐山中学校となり、

小学校は東小学校と統合し、土佐山小学校となる。

当時の写真


で、

なんなんだ


これは??

ハングルは必要ないだろう!!


土佐山村には朝鮮人が潜んでいるのか??




放火と防火が同じ表記のハングルは日本に不要



因みに日韓併合で、日本が朝鮮人にハングルを禁止したというのは大嘘。




学校の無かった朝鮮半島に日本人は、朝鮮人のために朝鮮語で朝鮮人に教育をする普通学校を開設した。

そして、日本語は必須科目だった。

教科書は朝鮮総督府が監修




また朝鮮半島の日本人のために、日本と同じ小学校も開設された。

それは日本人のために日本語で教育をする学校で、普通学校で日本語が必須科目だった事と同じ理由で、ハングルが必須だった。

こちらの教科書は日本の文部省が監修

そして、地理的な理由で、普通学校に通う日本人もいたし

小学校に通う朝鮮人もいた。

そう・・・日韓併合前の朝鮮には学校が無かったのだ。

学校が無かったという事は、教育が無かったという事。

というか教育という概念すら無かったのだ。

教育が無かったという事は、識字率も極めて低かった訳で、文字を学んで医学を学び、医者になろうとする者、いや、その発想さえ存在していなかったのだ。

だから医学が存在しないから病気という概念、症状に対する病名さえなかったのです。

実際に併合前の朝鮮に病院はありませんでした。


正確に言うと病院そのものは存在していましたが、それは外国人が朝鮮半島の自国民のために建てた病院で、朝鮮人のための病院はありませんでした。


だって、病気という概念さえなかったのですから。

必要ないでしょう。

そして日韓併合の5年前、日露戦争に勝利した日本軍がソウルに駐留した際、その世界最強のロシア軍を打ち破ったその日本軍の前に立ちはだかり、日本軍を恐怖のどん底に陥れた集団がいました。


病気という概念を持たない朝鮮民族の売春婦たちです。

性病まみれの、風呂に入る習慣のない売春婦たちです。


そんな不潔な売春婦たちを、いや関われば命の危険さえ脅かされる売春婦たちを日本人が強制連行する訳ないでしょ。


土佐山村 西川小学校

2019-05-26 14:05:48 | 土佐山村の学校跡地

土佐山村 西川小学校


2016/8/25(木) 午後 11:57





土佐山村学校統合の流れ


西川小学校の歴史




明治17年 梶谷小学校で西川、梶谷、両尋常小学校の開業式を行う。

明治20年 4月、菖蒲、西川、梶谷の合併案

      12月、三校舎を取り壊し、それを利用して西川字須和崎に西川尋常小学校設立

明治41年 4月、小学校令改正に伴い義務教育が6年制となる。

      卒業生が第5年生に進級したため、単級を二学級に編成

明治42年 校舎落成、総工費3835円

      校下、菖蒲57戸、西川34戸、梶谷22戸

      人口557人 不就学児童なし

大正11年 学校柵完成

昭和 4年 電灯設備できる

昭和50年 桑尾・西川を名目統合し、桑尾13番地に土佐山東小学校







全景


石碑がある


石碑の歴史は明治20年から

奥に橋がある


すわさき橋


昭和39年


ここの地名のついた名前の橋だから、当時はこの橋がメインだったのかもしれない。




バス停は「西川」、学校前ではないのが少し寂しい。


在りし日の西川小学校


鏡村の小学校のように、僻地集会所などはなかったようだ

土佐山村 桑尾小学校→土佐山東小学校→土佐山小学校

2019-05-26 14:04:27 | 土佐山村の学校跡地

土佐山村 桑尾小学校→土佐山東小学校→土佐山小学校

2016/8/26(金) 午後 11:57


土佐山村の学校統合の流れ

菖蒲小学校と明治初期の土佐山小学校が「土佐山村史」にも出てこない。


学校の歴史

桑尾小学校

明治11年 桑尾尋常小学校創立

      土佐山村字桑尾13番地

昭和 4年 電灯設備ができる

昭和42年 完全給食開始・運動場外周金網完成


土佐山東小学校

昭和50年 桑尾・西川を名目統合し桑尾13番地に 

      土佐山東小学校



土佐山小学校

昭和54年 土佐山東、土佐山西、を統合し土佐山小学校

昭和56年 旧土佐山中学校跡に鉄筋3階建て校舎が完成

      9月1日プール完成



平成28年 土佐山小学校、土佐山中学校を統合し

      土佐山学舎となる。





桑尾13番地とは、現在の土佐山学舎の場所である


在りし日の桑尾小学校




土佐山東小学校


バス停


この場所には明治時代からずっと学校がある!!
これは逆に稀なケースかもしれない。
現存する小学校の中にも、その歴史の中で移転を繰返している学校も多い。


道路は拡張され、近代化された土木技術が導入されている。


今年、平成28年、土佐山小学校と土佐山中学校が統合され土佐山学舎となる。


因みに、土佐山中学校跡から土佐山学舎までの鏡川沿いは、絶好の川遊びスポットだらけ。特に大穴狭はおすすめ!!!