土佐山村 土佐山西小学校・土佐山中学校
2016/8/25(木) 午後 11:14
学校の歴史
昭和40年 9月1日、中切小学校と弘瀬小学校が名目統合し土佐山西小学校開設
昭和41年 5月3日、奈路405番地に鉄筋コンクリート二階建ての校舎完成
昭和42年 鏡、土佐山二村学校給食センターを設立。
給食センターで共同調理方式により両村小学校の完全給食実施。
昭和51年 9月1日、すみれ寮を廃止してスクールバス通学
9月12日、台風12号で床上68cm浸水
昭和54年 土佐山西小学校、土佐山東小学校を統合し土佐山小学校となる。
・土佐山中学校は昭和22年5月1日、桑尾小学校に設置
・土佐山小学校の新校舎は土佐山中学校跡に昭和56年鉄筋3階建てを建設
土佐山西小学校の奈路405番地は平成28年に廃校になった土佐山中学校
全景
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昭和51年の台風12号で床上浸水したそうだ
土佐山西小学校として完成した校舎は昭和54年から土佐山中学校となり、
小学校は東小学校と統合し、土佐山小学校となる。
当時の写真
で、
なんなんだ
これは??
ハングルは必要ないだろう!!
土佐山村には朝鮮人が潜んでいるのか??
放火と防火が同じ表記のハングルは日本に不要
因みに日韓併合で、日本が朝鮮人にハングルを禁止したというのは大嘘。
学校の無かった朝鮮半島に日本人は、朝鮮人のために朝鮮語で朝鮮人に教育をする普通学校を開設した。
そして、日本語は必須科目だった。
教科書は朝鮮総督府が監修
また朝鮮半島の日本人のために、日本と同じ小学校も開設された。
それは日本人のために日本語で教育をする学校で、普通学校で日本語が必須科目だった事と同じ理由で、ハングルが必須だった。
こちらの教科書は日本の文部省が監修
そして、地理的な理由で、普通学校に通う日本人もいたし
小学校に通う朝鮮人もいた。
そう・・・日韓併合前の朝鮮には学校が無かったのだ。
学校が無かったという事は、教育が無かったという事。
というか教育という概念すら無かったのだ。
教育が無かったという事は、識字率も極めて低かった訳で、文字を学んで医学を学び、医者になろうとする者、いや、その発想さえ存在していなかったのだ。
だから医学が存在しないから病気という概念、症状に対する病名さえなかったのです。
実際に併合前の朝鮮に病院はありませんでした。
正確に言うと病院そのものは存在していましたが、それは外国人が朝鮮半島の自国民のために建てた病院で、朝鮮人のための病院はありませんでした。
だって、病気という概念さえなかったのですから。
必要ないでしょう。
そして日韓併合の5年前、日露戦争に勝利した日本軍がソウルに駐留した際、その世界最強のロシア軍を打ち破ったその日本軍の前に立ちはだかり、日本軍を恐怖のどん底に陥れた集団がいました。
病気という概念を持たない朝鮮民族の売春婦たちです。
性病まみれの、風呂に入る習慣のない売春婦たちです。
そんな不潔な売春婦たちを、いや関われば命の危険さえ脅かされる売春婦たちを日本人が強制連行する訳ないでしょ。