大豊 西峰小中学校
2016/5/22(日) 午前 1:03
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平成12年
西峯小学校 東豊永小学校に統合(平成16年東豊永小学校が大豊小学校に統合ー平成26年大豊小学校統合により、おおとよ小学校となる)
西峯中学校 大豊中学校に統合
ひばり食堂でカツカレーの大盛りを食べて西峰小中学校跡地に向かう!!
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カツはカレーのルーの中に沈んで見えないだけ。
しばらくお腹が空く事もなさそうだ!!!
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32号線から439号に入る
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コンビニでもなくチェーン店でもない地元の食料品店、なかなか活気がある。
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川沿いのガレージにはイカしたマシンが!!
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昔のつり橋が、今も生活道として使われている、そんな場所を更に奥へ!!
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西峰の案内板が出現!!
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西峰小学校跡地の記載もある!!
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跡地にはすぐに辿り着けそうだ!!
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そして、西峰地区に到着し、そのままそれらしき場所に行ってみると。
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西峰小学校開校100年の石碑と国旗掲揚台の跡が。
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そしてその裏には「三谷助之進」の名前が。
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明治初期の大豊の小学校の発足は、民家を借用しての学校がほとんどだったが、この西峯小学校は、明治9年4月、旧西峯道番役・三谷助之進が西峯百十八番屋敷を学校として開設したいと、県令岩崎長武に学校設立認可の願いを差し出したのが始まりだったそうだ。
そして明治20年 小学校令改正。3年制の簡易小学校となる。
沖・大畑井方面には大畑井簡易小学校があったそうだ。(もちろん、運動場などは無く、読み書きそろばんが中心の小学校)
明治25年 改正小学校令 簡易小学校は4年制となる。
大畑井小学校は西峯小学校に合併されたらしい。
明治31年 西峰二千七百壱七番地(現在は水田との事)に移転。
この時の校舎は全額地元負担で建てられた。
(というか当時は公費が支出される事自体が少なかったそうだ)
当時の学校の図面
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明治41年 義務教育6年制に移行。それに伴い、2教室が増築された。
新築校舎は萱葺き屋根だったそうだが、増築された教室はトタン屋根だったそうだ。
昭和5年 柚木小学校は西峯小学校の分教場として4年生まで通学、5.6年は西峰小学校に通学。
昭和13年 柚木分教場は閉鎖され西峯小学校に合併される。
(大豊町史より・・・・また昭和5年に現在水田になっている西峯2717番地からこの石碑のある場所に移転してきた・・という事になるのだろうか。)
現在は集落活動センター西峰になっている
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そして昭和22年 東豊永村立西峯中学校が西峯小学校の一部を使用して発足。
昭和29年12月27日に中学校校舎完成。翌年から授業開始。
中学校の校舎・在りし日の姿
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この小学校があった場所に、さらに中学校が開設された事になる。
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そして、近くにいた地元の方に話を聞くと、その後、小学校、中学校は下の川沿いに移転したとの事だった。
随分と児童数、生徒数が減ってからの移転で、とくに中学校はほとんど使われる事なく綺麗な状態で残っているとの事。
下に行って橋を渡らずに直進するとすぐに着くと教えてもらう。
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見えてきた。かなり大きな敷地に建っている。規模も大きい。
安芸の伊尾木川沿いに古井小中学校跡地を見た時は、その規模の大きさに驚いたが、今回もそれと同じで、さらにその敷地の大きさに更に驚いた。
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正門
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でも、この敷地の大きさには、それ相応の理由があった。
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プール。奥に見えるのが長瀬川。
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プールと校舎。このプールはここに学校が移転してくる10年以上前に出来たものだ。
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校舎と時計
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グラウンド、さらに奥からの全景
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隣には保育園が隣接していたようだ。
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正面玄関。児童数が減り続ける中での移転だったようだ・・・
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職員室。先生も数人・・・
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そして、小学校の後ろには、その後建てられたかと思われる、西峰中学校が。
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こちらの時計は6時34分で止まっている。
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中学校の表札。
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校舎の中。綺麗な状態のままだ。
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あの石碑があった場所から西峯小学校がこの場所に移転してきたのが昭和57年との事。そして中学校の移転は、そのずっと後の事だろう。
こんな山奥にこの規模の小学校跡地が、さらに殆ど使われる事のなかった中学校跡地が、なんと勿体ない・・・・・と思う人もいるだろう。そういう私自身も、実は、そう思わない、とは言えない。
でも、自分の地域の学校の新築、移転を、一体何処の誰が、その学校がいずれ、休校になり、廃校になる事を前提に計画を進めるだろうか??
確かに、時代の流れ、それに伴う付近の地域の状況を見ると、既に過疎化が進み休校、廃校になっていく多くの学校を見がらの新築、移転計画だったという事は、当事者が一番よく理解していた事だと思う。
でも自分の住む町の学校は、是非その後も地域の中核的な役割を果たすような、もし隣の町の学校を合併する事になっても大丈夫なくらいの、逆に校舎がボロいからという理由で、隣の町の学校に合併されてしまう事のないくらい、規模も大きく、立派な校舎を建ててあげる、というのが人情というものだろう。
そして実際に、明治31年に建てたれた西峯小学校の校舎は地元の全額負担で建てられている。 この長瀬川沿いの新校舎には例え公費は使われていたとしても、その気持ちは明治31年度と全く同じものだと思う。
このやたらとでかい敷地も、それにはそれ相応の理由があって、昭和22年、小学校の敷地に中学校が併設され、さらに29年には中学校の新校舎が完成し、運動場が狭くて体育の授業等に支障をきたしていたそうだ。
だから地元の青年団などが中心となっって地主の了解の下に長瀬川原にソフトボール場等を作っていたが、昭和43年、氏原友一、笹岡増雄や、その他の人達からの土地の無償提供を受け、グラウンド工事が完了した・・。
そしてプールも、完成以前は適当な水泳場がなく、長瀬川に臨時の水泳場を造って夏場の体育指導にあたっていたが、昭和46年6月8日、プールを長瀬川畔に設置。昭和57年に、西峯2397番地に鉄筋コンクリート二階建ての現校舎を建築・・
と大豊村史に記載されている。
そして西峯中学校に関しては、小学校が長瀬川沿いに移転し校舎跡を整理し運動場を拡張し独立校らしい雰囲気になった・・・ともある。
運動場も狭くプールも無い・・・そんな学校の卒業生がやがて、地元の青年団となり、次の世代の児童、生徒達のために、広い運動場を作り、プールを作り、そしてそこに新しい校舎を建ててあげたい!!!と思う気持ちは当然の事だと思う。
例え時代の流れが、山間部の過疎化が進行し、回りの地域の学校の休校、廃校が進んでいる状態であったとしても、自分達の地域の学校は、その後も地域の中核的な役割を果たす事の出来る、そんな立派な校舎を建ててあげたい!という気持ちは!!!