中村・竹屋敷小中学校
カテゴリ高知県
2017/7/27(木) 午前 0:44
地理院地図「大用」1/25000・昭和41年発行
到着
そしてここは竹屋敷小中学校というだけではなく、昭和27年に建てられた富山村立富山西武中学校跡という事にもなる。
現在の竹屋敷小中学校の校舎が建てられたの昭和48年。
平成15年に休校となる
学校の歴史は明治8年、各に簡易小学校が開設された事から始まる。
「本舗初公開、投稿者の指」(笑)
体育館は「屋内運動場」とも呼ぶ
昭和48年に建設された竹屋敷小中学校の校舎
校庭
卒業生にとっては非常に懐かしい「角度」
教室の中
右上には児童がこの学校の歴史をまとめている
もう一つの「文」の場所が気になり探すが道路もなく場所が分からない
地元の方に尋ねると、そこは小学校があった場所で、そこの小道を少し登ると、はっきりとした道が現れ、小学校跡地に行けると教えて頂いた。
草ボーボーの道を登り、校門が見えてきた
感動的な光景だった
校庭には植林ではなく、桜の木が植えられ、毎年、春にはこの小学校跡地は桜吹雪の舞い散る煌びやかな場所となる!!
校舎は石垣の上にあったようだ。
先程訪問した鴨川小中学校と同じで、またこの地域で多く見かける造りだ。
石段の中央には階段がある。
この場所には木製の階段が掛けられていた事だろう。
校庭には卒業記念に造られたものがまだ残っている。
国旗掲揚台
今はこれが無い学校が多くなってしまったが、一体何処の国の教育機関だと思っているのだ。
国家の存在の上に教育が成り立っているという事を今の教育関係者が一体どれだけ理解しているのか・・・
「國光」の文字がある
わざわざ製作者の国光さんが造った自分の名前をここに刻むはずもない。
これは「國」の「光」
日本という「國」が「光」輝くという意味で、国旗掲揚台としてのあるべき姿なのだ。
石段の横には教員住宅かな
校舎の建っていた石段に上がる
校舎の基礎と教室に上がる階段
廊下で繋がっている現代の校舎ではなく、それぞれの教室に出入りする建物だ。
・・・いや、室戸の長者野小中学校はそれでも廊下で繋がっていたから、今でいう玄関があって靴箱に靴を入れて教室に入る校舎とは少しその部分が違っていたという事だろう。
格子窓のガラスの破片が沢山落ちている
また粘土瓦も大量に落ちている
もしかして地元の方々は、自分の通った小学校の旧校舎が崩れていく音を聞き、そしてその姿を目の当たりにしていたのかもしれない。
校庭に降りる
学校の裏にはお宮がある
校庭からの校門
竹屋敷のメインストリート
左手が郵便局で右手奥には酒屋さん
とは言っても・・・
レアな自販機
旧小学校から現地に新校舎が建てられた頃の航空写真
現在も旧小学校跡は
校庭に桜の木が植えられている事もあり
その姿をまだしばらく長い間保ち続ける事だろう
この地域について詳しく調べた訳ではないが一つだけ言える事。
それは昭和48年に現在の竹屋敷小中学校の新校舎が建てられる以前は、小学校と中学校がそれぞれ別々の離れた場所の敷地に建てられていたという事。
つまりそれぞれの単独の敷地では小中学校として収容しきれない程の児童生徒がこの地域にいたという事で、昭和48年の段階は、既に過疎化が進み、一つの敷地に小中学校を建設したほうが合理的な状況になっていたという事。
ここも現在では高知市内からスクーターで3時間掛からずに来れる場所ではあるが、それが半日以上掛かり、とても日帰り等無理な時代には、ここには小学校と中学校が別々に建てられていて、多くの児童、生徒、子供達の歓声が響き渡っていたという事。