皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

中村・伊才原分校(蕨岡小学校)

2019-08-11 11:57:22 | 中村の学校

中村・伊才原分校(蕨岡小学校)

書庫日記

カテゴリ高知県

2017/7/29(土) 午前 0:48

片魚小学校から大用に向かい伊才原分校跡に行く。


大用トンネルを通って大用に入るが、分校があったのは、右の旧道を大回りしていた頃の話だ。


今はバイパスもトンネルも出来ているが、


当時はトンネルもなく、道は狭いクネクネ道

でもこの地域に活気があり児童、生徒が沢山いた時期になる。


伊才原の橋を渡り到着

分校にしては規模が大きい


学校の前は天然のプールになっている


校舎のあった場所


在りし日の伊才原分校


母校を偲んで


いや「母校を偲ぶ碑」だ




学校の歴史



明治30年以来、









「蕨岡村史」より



児童数は多いときで30人越え、統合前の昭和50年は4人だったそうだ。

「中村市史」には



伊才原分校

明治 8年 私立伊才原学舎(その後村立となる。時期不明)

明治30年 6月、分教場となる。

昭和49年 蕨岡小学校に統合


また本校の蕨岡小学校は

明治 8年 廃寺を利用し開設

明治10年 11月、現地へ移転

昭和30年 8月、旧校舎改築

昭和50年 プール完成




校門






さすがに「分校」の文字ではなかった。



国旗掲揚台

分校にしては敷地も広く、いろいろと整っている

しかもこの国旗掲揚台は大方の加持小学校にもある「別格」のものだ。

ここがずっと「分校」のままだったのが少し信じられない。




トイレも完備




分校時代を経て、地域の施設になり、そしてその役目もほぼ終えようとしている。


とても広い校庭




何故、独立校にならなかったのか不思議でならない・・・・



在りし日の伊才原分校2


在りし日の伊才原分校3


分校周辺だけは殆ど当時のまま!!

中村・常六小学校

2019-08-11 11:56:18 | 中村の学校

中村・常六小学校

カテゴリ高知県

2017/8/1(火) 午後 9:31



地理院地図「伊与喜」昭和48年


到着


校門



全景


休校 平成15年 大用小学校に統合

それは片魚小学校も中学校も同じ

小学生の通う地元の小学校が休校、廃校になるという事は地域にとっては致命的な事である。


開校は片魚小学校と同じ明治8年


新校舎完成は昭和62年

平成元年には片魚中学校の新校舎が完成し

平成4年には片魚小学校の新校舎が完成



学校に協力された方の石碑




記念樹



焼却炉



実際はどうしていたのか分からないが、学校の可燃物はここで焼却するほうが合理的である。

もしかして休校までずっと稼働してかもしれない。


学校の東隣には石段があり



河内神社がある





地元の方が足を運ぶ機会が少なそうなのが残念だ



後日訪問時には



30年後は一体どうなっているだろうか。




でもそれは30年前に常六小学校、片魚中学校、片魚小学校の新校舎建築が始まった時、それから約15年程でその3つの学校が休校に至る事が分からなかったと同じように、分からないのである。




昭和57年度の児童数は男子23名、女子12名、複式3学級、75条学級1クラス1名

中村・片魚中学校

2019-08-11 11:54:53 | 中村の学校

中村・片魚中学校

カテゴリ高知県

2017/8/1(火) 午後 9:04




大用から片魚中学校に向かうと手前の道路右にプールがある。



平成6年に完成したプール



場所としては中学校のプールにはなるだろうが、片魚小学校、常六小学校と共用のプールだという事が分かる。




航空写真


学校に到着



校門付近



平成元年に建てられた新校舎


学校の石碑



平成15年に休校


大用中学校に統合となる


学校の歴史


昭和22年 常六小学校内に併設する形で開設

昭和24年 現地に移転 新校舎落成



休校から15年後の平成30年 タイムカプセル開封



その時、時計ぐらいは合わせておこうぜ!!という話になるかもしれない。


校庭





学校横の魚屋さんは営業中


来年のカプセル開封時は大賑わいになる事だろう





部外者ながら、ちょっと来年のカプセル開封が気になってしまうのである!!

中村・片魚小学校

2019-08-11 01:37:35 | 中村の学校

中村・片魚小学校

地理院地図「大用」昭和41年




到着




校庭


大人用の鉄棒もある




歴代の中では、ここで大車輪をする児童もいたかもしれない


山間部の農村地帯に建つ近代建築



旧校舎が建てられたのは昭和29年3月

新校舎が建てられたのは平成4年

また「校歌」が作られたのも平成4年

では「始業式」「終業式」「入学式」「卒業式」ではどうしていたのか。

それは「国歌」を斉唱した事になる。


それで正解だ!!!!!!



開校は明治8年




当時は住次郎と片魚の一日交替授業で巡回授業場と言ったほうがより正確な表現になるかもしれない。



片魚中学校のプールは平成6年完成





国旗を揚げる支柱もある



昭和57年度の児童数は男子14名、女子6名、複式3学級




減り続ける児童数の中での新校舎建築だった事だろうが




新校舎建築こそが減り続ける児童数の中でのこの地区の発展への象徴だった事に違いない。




同時に「校歌」も作られ、2年後の平成6年には片魚中学校の近くにプールも完成した。