皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

仁淀村立泉川小学校

2019-05-26 22:14:57 | 仁淀村の学校

仁淀村立泉川小学校

2015/9/19(土) 午後 9:41


====================

2015.10.4 追記

廃校後の泉川中学校(その後、泉川小学校。10年後に統合、廃校)

昭和25年4月3日開校~昭和51年3月31日閉校 卒業生数529名


========================

まわりに殆ど家、集落がなく、何故ここに学校があったのか不思議に思うが、昔この近くに黒滝鉱山があり、昭和30年代に閉鎖し集落自体がなくなったらしい。

中学校は1976年仁淀村中学再編計画で泉川中学校は仁淀中学校に統合され、小学校は長者地区の長者小学校に統合が検討されたが、地域の強い反対があり撤回、しかしその後も過疎化が進み10年後の1986年休校へ。

明治以来1世紀の歴史のある学校だったそうだ!



現在は集落センターとして使われているそうで、この建物は昭和63年に建て替えられたもの。


校庭の石碑





この前の439号線は2車線で走りやすくなっているが、これはその前の旧道


この橋はその黒滝鉱山が閉鎖してから造られたもの。


旧道と新道、うーんとりあえず天狗高原への道でもあるのだが、昔の人はどのルートで天狗高原に行ってたのか気になる。


そして昭和46年に石灰石鉱山開始の鳥形山


1459mの標も200m程低くなってるそうだ。


このコンベアも機会があれば調査してみたい。


鳥形山隧道


日鉄鉱業の社宅は長者地区には3つ(もしかしてそれ以上?)ある
これで長者地区に活気がるのは分かるが、泉川小学校の近辺は寂れていくばかりだったのんだなぁ!





そして仁淀役場周辺へ(仁淀中学校のある地区)
あらためて、地域の歴史の流れをもっと勉強しなきゃ!と思う!



居酒屋、行ってみたい!!!


電話番号10!!


昔の街並み!

33号、帰りの大崎小学校周辺に寄ってみる!

前から気になっていた「ふれあい広場」


もうやってないようだ!当時の様子を知りたいと思う!


この橋は昭和13年に造られたもの。

調べていくと、やっぱりいろいろと繋がりがあるのが分かってくる!!!





仁淀村 別枝中学校

2019-05-26 22:13:55 | 仁淀村の学校

仁淀村 別枝中学校

2016/8/17(水) 午前 0:13




別枝大橋



初代別枝大橋の完成は昭和26年の事だ。



これはその20年後の昭和46年に完成した2代目らしい。






そして、別枝の分岐のところのに古い案内がある


この案内どうりに行っての辿り着けない、というか道路が新しくなっているようで、地元の方に教えてもらう。


どうやら中学校跡地の真ん中を新しい道路が走っているようだ。


この広場が別枝中学校跡


もしかして、これはほぼ同じ角度かも!!


(いつもの井上さんの写真)

こちらは「吾川村史」より。


現地に行けば、校舎の建っていた場所がわかる。


少し校庭の雰囲気が残っているかもしれない。


別枝広場ともいうらしい。


別枝中学校は昭和51年、泉川中学校、長者中学校と共に仁淀中学校に統合される。

そしてこの2キロ奥にあった別枝小学校は、その2年前の昭和49年に統合のため廃校になっている。




仁淀村 別枝小学校

2019-05-26 22:12:59 | 仁淀村の学校

仁淀村 別枝小学校


2016/8/17(水) 午前 0:30



別枝中学校跡から約2㌔。別枝小学校跡に向かう。


ブランコ


壊れてしまった卒業生の作品


基礎ごと移動した遊具。撤去しないのが学校跡地ならではの話だと思う。


鉄棒


ローラー


この風景はこの先もしばらく続きそうだ!!


学校前の商店。


ここも新しく出来た道路が学校跡地を横断している。


ここに校舎があったと、地元の方が教えてくれた。


在りし日の別枝小学校

(井上さんの写真です)

写真左が旧道で、その後この校庭を新しい道路が横切っている。



今は別枝上区多目的集会施設になっている。


これは小学校時代の手洗い場だろう・・!!


そして道路を挟んで消防団があり


その横に別枝小学校の石碑がある


開校は明治8年

そして、昭和49年、学校統合により廃校となる。








仁淀村 森小学校(現・別府小学校)

2019-05-26 22:12:05 | 仁淀村の学校

仁淀村 森小学校(現・別府小学校)

2016/8/25(木) 午前 11:18


森小学校は現在の別府小学校

森小学校としての歴史は明治8年の開校し、昭和38年に高瀬小学校を統合し、別枝小学校、沢渡小学校、川渡小学校と統合して別府小学校になる昭和49年まで。

また川渡小学校跡地と周辺を利用して、昭和51年、長者中学校、泉川中学校、別枝中学校と、大渡にあった組合立中学校を吾川村と分離して統合し、仁淀中学校が設立されている。

在りし日の森小学校




児童数
昭和35年 341人

昭和45年 179人

昭和48年 164人






仁淀村 沢渡小学校

2019-05-26 22:11:18 | 仁淀村の学校

仁淀村 沢渡小学校

2016/8/17(水) 午後 4:54


別枝大橋を東に行くと沢渡小学校跡に着く。





入り口付近に石碑がある


開校 明治 8年 

閉校 昭和49年


石碑の隣に



沢渡小学校跡地


今は沢渡多目的集会施設となっている


隣には別枝小学校と同じく消防団がある。


桜の木が切られている。




残念に思っていたのだが、これは木が弱ってきたので切り、現在元気な枝が出てきて綺麗な花を咲かせてくれてるとの事でした。


綺麗な段々畑と言いたいところだが、奥の畑と、手前の畑では、手入れ具合が全く違う。「もう人が減ってねぇ」と地元の方が話されていた。


そしてこの時期 台風の大水に備えるために大渡ダムの貯水量は減り、ダム湖の対岸の水没した集落跡が見えてくる。


ここは旧33号線沿いで、当時は50~60の民家があり300人程が住んでいたそうだ。


コンクリ製の建物の骨組みのみが残っている。


大渡ダムの工事着工は昭和43年、完成は昭和61年。

神の鳥居が見える。 当時は丁度この時期、あのあたりで夏祭りなんかがあったはずだ。


現在の33号線沿いから見える沢渡小学校跡地


ひと昔前の沢渡小学校跡地