皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

土佐町 石原小学校

2019-05-26 13:58:27 | 土佐町の学校跡地

土佐町 石原小学校

2016/6/2(木) 午後 10:21


石原中学校が移転後、少し北側にあった小学校がこちらに移転してきて、新しい校舎を建てたとの事。

当時は、石原だけで100人いた児童も、今では全体で100人ぐらいになってしまったと、地元の方が話をしてくれた。



プール



こちらが正門



中学校移転後に、新しく小学校の校舎が建てたれた!



石碑


少し北側にある、以前の石原小学校跡


隣は石原保育園跡


という事は、これは石原中学校の校舎という事になる。




在りし日の石原小学校



土佐町 田井中学校

2019-05-26 13:55:27 | 土佐町の学校跡地


土佐町 田井中学校
2016/8/25(木) 午前 10:11



田井の住宅街に入っていく。

学校のグラウンドのようだ。

そこが田井中学校跡。


昭和58年 土佐町の6つの中学校が土佐町中学校に統合された。



グラウンド



校舎のあった場所には新しい建物が建っている。


土佐町農村交流施設「おこぜハウス」

子供達の夏の合宿には最適の場所。


グラウンドに子供たちが集まり始めた。


グラウンドに、かつてここが学校だった頃の活気が復活し始めた。


翌日は野球の練習で、ここは大賑わい。

おこぜハウスもなかなか快適。


ちなみに私は「不審者」ではなく「保護者」ですから!!!キッリ!!!!


在りし日の田井中学校



自分が小学生の頃は、地元の子供会で大人達が、夏休みに、海の家、山の家、少年自然の家などの泊まりで連れていってもらったものですが。

それが超楽しくて、私の小学校時代の宝物のような想い出です。




でも、今はそんな事はやらなくなっているようです。




そしてそれは、受け継がれてきたその地域の伝統が、そこで消滅した事にもなるのですが。




でも、地域という単位で夏休みの子供達が泊まり込みでふれあいの場を持つ機会こそ減ったものの、こういう少年スポーツクラブという単位で子供達が夏に新しい体験を積んでいくようになったのは、一世代前には殆どなかった新しくて素晴らしいものだと思う。

土佐町 和田小学校

2019-05-26 13:53:39 | 土佐町の学校跡地

土佐町 和田小学校

2016/6/2(木) 午後 10:02



平成11年 休校

平成21年 土佐町中学校に統合

創立は、明治17年に能地小学校が和田小学校の分校として設立されているので、それ以前、多分、他の周辺の学校と同時期の明治一桁代だろう。

昭和39年に能地小学校を統合した時の児童数は60名だったそうだ。

田井からトンネルを抜け、ここを左に


あと一キロ


到着 


校舎


石碑




プール


少し高い場所から。