『大東亜戦争』(呼称、昭和16年12月12日閣議決定)
・朝日新聞昭和16年12月13日朝刊一面

●大東亜10億の民族を圧迫搾取し、その支配を永久化するため世界史進展の現実を無視した架空的原則論を固執して譲らなかった米英両国を打倒し、大東亜の地域に「共存共栄」の理想的新秩序を建設するため、帝国政府は8日堂々米英両国に対して宣戦を布告した。従って帝国と米英両国は国際法上の戦争状態におかれたわけであるが、対米英戦の呼称は大東亜新秩序建設に鐵(鉄)石の決意をもって邁進する大東亜地域の安定勢力としての大理想を簡明直截(直接)に表現するために「大東亜戦争」とすることとなり、12日の閣議で正式決定、情報局より次のごとく発表された。
過去4年有半にわたって遂行された支那事變(変)も大東亜新秩序建設のため米英両国の傀儡化した重慶政権の打倒を目指したものであり、その目的は今回の対米英戦と同一でその本質も異なることなく従って「大東亜戦争」の下に含められる事になった。「大東亜戦争」の呼称は今次戦争の目的の上から決定されたもので戦争地域が大東亜にのみ限定されることを毫も(少しも)意味しない。
戦争の地域は米英両敵国が大東亜地域の外にあり、また11日ベルリンで調印された日独伊三国間新協定の趣旨に鑑み、さらにメキシコ、ハイチ、ドミニカ、コスタリカ、キューバ、パナマ、コロンビヤ、ホンヂユラス、ニカラカ等中米の諸国が米国の圧迫下対日宣戦を布告したと傳(伝)えられる事實(実)により、第二次世界大戦の通称が示すごとく全世界何れの地域にも擴(拡)大する可能性がある大東亜戦争ーそれは今次世界新秩序戦を帝国の目的といふ見地から呼称したものであり昭和の聖代に生を受けた一億国民はこの未曽有の大戦を戦い抜き勝利の栄光に到達しなければならない。かくてこそ日清、日露の両戦役によってもたらせれたわが國運の発展に数倍する飛躍的興隆が帝国否十億大東亜民族の上に輝くであろう。
《情報局発表》
今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と称するは大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味に非ず。

昭和16年12月12日、日本は先の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ事に閣議決定。
昭和20年12月15日、GHQは占領政策で「大東亜戦争」という言葉を禁止し「太平洋戦争」とする。
「太平洋戦争」の内容は要約すると、
・一部の軍国主義が植民地獲得のために戦争を始める
・国民を犠牲にして自分達の野望を達成しようとする
・残虐行為を繰り返しアジアに迷惑を掛ける
・ナチスと組んで世界征服を企む
・自由と平和を愛する民主主義の国アメリカの正義の力の前に屈服し日本は新しい時代を迎える。
そしてGHQはその内容を
12月8日から各新聞で「太平洋戦争史」
12月9日からラジオで「真相はかうだ」
という方法で宣伝し、そしてそのまま学校の教科書となってしまいました。
それが日本の現在の「自虐史観」の始まりです。
そして「太平洋戦争」という言葉自体が「自虐史観」そのものなのです。
また、真珠湾攻撃で空母が一隻もいなかったというのも大嘘で、日本軍はホノルル沖で空母を一隻撃沈しています。

日中戦争というのも大嘘であれは「戦争」ではなく「事変」。
日中戦争ではなく「支那事変」なのです。
戦争とは、宣戦布告に始まり「講和」を持って終結するものです。
日清戦争、日露戦争が宣戦布告で始まり、それぞれ「下関条約」「ポーツマス条約」で終結したのと同じ事です。
そしてその蒋介石の重慶政府がやっと日本に宣戦布告してきたのが昭和16年12月9日です。

・朝日新聞 昭和16年12月11日夕刊
それでやっと支那の重慶政府蒋介石国民党との戦争が成立です。
(でも毛沢東の共産党、北京、南京を含む当時の中国の大多数の方々には全く無関係な話です)

いやいや実は、蒋介石国民党、毛沢東共産党を省く、北京、南京を中心とした支那人は南京を首都として汪兆銘政権となっていて、その後米英に宣戦布告までしています。
教科書に書いている「中国と全面戦争」という記述は、世界的な常識に照らし合わせてみると爆笑ものの大嘘なのです。
未来の日本人の為に、我々の世代で真実の日本の歴史を取り戻しましょう!!!!!
・朝日新聞昭和16年12月13日朝刊一面

●大東亜10億の民族を圧迫搾取し、その支配を永久化するため世界史進展の現実を無視した架空的原則論を固執して譲らなかった米英両国を打倒し、大東亜の地域に「共存共栄」の理想的新秩序を建設するため、帝国政府は8日堂々米英両国に対して宣戦を布告した。従って帝国と米英両国は国際法上の戦争状態におかれたわけであるが、対米英戦の呼称は大東亜新秩序建設に鐵(鉄)石の決意をもって邁進する大東亜地域の安定勢力としての大理想を簡明直截(直接)に表現するために「大東亜戦争」とすることとなり、12日の閣議で正式決定、情報局より次のごとく発表された。
過去4年有半にわたって遂行された支那事變(変)も大東亜新秩序建設のため米英両国の傀儡化した重慶政権の打倒を目指したものであり、その目的は今回の対米英戦と同一でその本質も異なることなく従って「大東亜戦争」の下に含められる事になった。「大東亜戦争」の呼称は今次戦争の目的の上から決定されたもので戦争地域が大東亜にのみ限定されることを毫も(少しも)意味しない。
戦争の地域は米英両敵国が大東亜地域の外にあり、また11日ベルリンで調印された日独伊三国間新協定の趣旨に鑑み、さらにメキシコ、ハイチ、ドミニカ、コスタリカ、キューバ、パナマ、コロンビヤ、ホンヂユラス、ニカラカ等中米の諸国が米国の圧迫下対日宣戦を布告したと傳(伝)えられる事實(実)により、第二次世界大戦の通称が示すごとく全世界何れの地域にも擴(拡)大する可能性がある大東亜戦争ーそれは今次世界新秩序戦を帝国の目的といふ見地から呼称したものであり昭和の聖代に生を受けた一億国民はこの未曽有の大戦を戦い抜き勝利の栄光に到達しなければならない。かくてこそ日清、日露の両戦役によってもたらせれたわが國運の発展に数倍する飛躍的興隆が帝国否十億大東亜民族の上に輝くであろう。
《情報局発表》
今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と称するは大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味に非ず。

昭和16年12月12日、日本は先の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ事に閣議決定。
昭和20年12月15日、GHQは占領政策で「大東亜戦争」という言葉を禁止し「太平洋戦争」とする。
「太平洋戦争」の内容は要約すると、
・一部の軍国主義が植民地獲得のために戦争を始める
・国民を犠牲にして自分達の野望を達成しようとする
・残虐行為を繰り返しアジアに迷惑を掛ける
・ナチスと組んで世界征服を企む
・自由と平和を愛する民主主義の国アメリカの正義の力の前に屈服し日本は新しい時代を迎える。
そしてGHQはその内容を
12月8日から各新聞で「太平洋戦争史」
12月9日からラジオで「真相はかうだ」
という方法で宣伝し、そしてそのまま学校の教科書となってしまいました。
それが日本の現在の「自虐史観」の始まりです。
そして「太平洋戦争」という言葉自体が「自虐史観」そのものなのです。
また、真珠湾攻撃で空母が一隻もいなかったというのも大嘘で、日本軍はホノルル沖で空母を一隻撃沈しています。

日中戦争というのも大嘘であれは「戦争」ではなく「事変」。
日中戦争ではなく「支那事変」なのです。
戦争とは、宣戦布告に始まり「講和」を持って終結するものです。
日清戦争、日露戦争が宣戦布告で始まり、それぞれ「下関条約」「ポーツマス条約」で終結したのと同じ事です。
そしてその蒋介石の重慶政府がやっと日本に宣戦布告してきたのが昭和16年12月9日です。

・朝日新聞 昭和16年12月11日夕刊
それでやっと支那の重慶政府蒋介石国民党との戦争が成立です。
(でも毛沢東の共産党、北京、南京を含む当時の中国の大多数の方々には全く無関係な話です)

いやいや実は、蒋介石国民党、毛沢東共産党を省く、北京、南京を中心とした支那人は南京を首都として汪兆銘政権となっていて、その後米英に宣戦布告までしています。
教科書に書いている「中国と全面戦争」という記述は、世界的な常識に照らし合わせてみると爆笑ものの大嘘なのです。
未来の日本人の為に、我々の世代で真実の日本の歴史を取り戻しましょう!!!!!