大方・伊田小学校
2017/8/2(水) 午後 3:57
平成26年から休校
黒潮町の小学校児童数の推移(平成7年~)
伊田小学校休校前の平成25年度の児童数は8人(平成7年度は68人)
校門
校舎
校庭
体育館
奥にある時計はまだ正確に時を刻んでいる
100年に一度の大災害に備えよう
そしてその大災害を皆で協力し乗り越えてきたからこそ現在の日本人がいる!!
閉校の碑
隣には学校の歴史
開校明治6年
当時がいかに活気があり、財力があり、人材にも恵まれ、教育に関する意識が高かった事か!!
でもここでの開設は「小学校」ではなく「小学」という意味
「大方町史」には
明治19年頃 伊田、有井川、上川口の小学校が合併して有井川に学校を設置した事がある
明治22年 8月創立・伊田尋常小学校
明治27年 有井川尋常小学校分離
大正 8年 4月移転改築・伊田尋常小学校(伊田、有井川の両尋常小学校合併)
となっている。
そして有井川尋常小学校は
白田川中学校跡の場所が分からず、地元の方に教えて貰っている途中に見つける事が出来た
商店の横が、明治27年から大正8年まで存在していた有井川尋常小学校跡
こんな場所にも小学校が!!と驚き気味の私に
地元の方は、「いやいや、小学校があったというより、そこに集会場があり、そこで授業をしていたから、そこを小学校と呼んでいただけ!!」
と冷静に教えてくれた。
その後の集会場の移転先
もしかして、ここにも小学校があった時期が存在するかもしれない
現在の日本に存在する小学校の形態は、現代になって築かれたもので、明治5年の学制発布以来、様々な経緯を経て現代に至っているのである。
そして、それ以前から、その後の教育を築き上げるしっかっりとした教育の基盤、土壌が成熟していたという大前提が存在していたという訳である。
突然、学校を作りましょうと「学制」を発布したから、現在の小学校の歴史が存在しているというそんな簡単なものではないのである。
だから先人達の知恵、勇気、努力に感謝しましょう!!!
そして、だからこそその日本の教育機関の内部に侵入し、日本人に成りすまして「大嘘」を教える奴らが許せないのである。
現在 休校中の伊田小学校
まだその明治6年からの歴史は続いているのである!!!