皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

春野町・柏尾城 柏尾寺

2020-04-06 21:07:16 | 春野町の学校跡
高知市と春野町の間にある山といえば鷲尾山(306)、烏帽子山(359.1)で、そこにはテレビ塔があり筆山からの遊歩道もある場所で、いまだに多くの高知市民を中心とする人々が歩く場所である。

そしてその西には柏尾山(323)があり、そこには柏尾城跡と柏尾寺跡がある。
そしてそれは、現在の令和、平成、昭和を超えたもっと昔の話らしい。



柏尾山には春野運動公園の展望台の袂から登れるらしい、との情報に基づき!!

ここね

ここ↑  ↑  ↑から尾根を直上する!!

展望台からいつもの直上、しばらくすると道に合流 


道あるやん


鉄塔もあるやん

って、そもそも道あるやん、との事で運動公園の展望台から直上しなくても柏尾山への道はあります。

石段跡にも見えないもないが、当時は改めて心改まる場所であったのでないだろうか!!

石段に見えないでもない

展望台の袂から40分程で柏尾山山頂に到着

柏尾山頂上に 40分ほどで着く


すこし険しい道を想定していたが、この柏尾山への道も烏帽子山・鷲尾山と同じく今でも郷土を愛する多くの人々が歩く道が健在しているようだ!!


ここから北に高知市内が見渡せる!!

高知市内が見える

柏尾城があった場所。

そしてここが柏尾城のあった場所でもあったようだ 



立ち入り禁止だったようだが、その効力を喪失

時代を超えて、今も存在するこれは一体何の跡なんだろうか。

城の周囲にある構造であるのは分かるが、その城そのものが消滅した今もなお現存するその形は一体何のために存在してたのか!!


こんな切り通しがいくつか


とりあえず白土峠に向かう

とりあえず白土峠に向かう  

市内から見上げる場所ではあるが、定期的に人々の訪れる場所らしい!!

どうやら完全に俗化した場所


月石

月石

そこから見渡す高知市内

高知市内が見える

ここから烏帽子山に向かう道


柏尾寺跡コース以外は完全に俗化


途中には

見晴らしのいい場所


南に浦戸大橋まで見渡せる場所が普通にあったりする(これには写ってないだけで、少し左に振れば大橋!!)

浦戸大橋まで見える


公道では接近できなあの山の上の鉄塔、テレビ塔の横を歩き白土峠から柏尾山に戻ってくる


ここから柏尾寺跡に行き、坂本公民館に行く道はほぼ消滅しています。

分岐から道があるのはほんの最初だけ

道があるのは最初だけ

仲木屋を彷彿させる快適な道だ!!

仲木屋を彷彿させる快適な山道

しかし道はすぐに終わり、稜線上なのか杣道なのかよくわからない進路を進む

そしてその先に自然に造られた平坦な場所なのか、それともその後人工的に平坦にされた場所なのかもう判断のしようのな場所に到着し、

道が稜線上の杣道へと変化していくその先に


肥溜め跡を発見!!

もうこれは半世紀以上昔の肥溜め跡だろう!!

しかしそれは大正、明治に遡る事のない、昭和30年代、20年代に見える!!


また柏尾寺があったのも昭和、大正、明治の時代ではく江戸の時代の話であったらしい!!

等高線が緩やかになり、明らかに人工的に造られた地形がある

今ではもうその面影と言い伝えが残るのみ

でもそれでも、その言い伝えと、現地の面影が一致する

寺があったのは、昭和の時代でも


当時はこの柏尾寺のお経が麓の芳原の民家まで聞こえていたそうだ。

そしてこの柏尾寺の石がその後に麓に流れ、その石を集めて祀っている場所もあるらしい!!

柏尾寺跡の看板はもう少し下


寺跡の看板は少し下にある

かつて江戸の時代、芳原から見

今も残る当時の光景!!


またお寺は江戸の時代、もしく

そこから少し高度を下げた場所にも肥溜めがある!!

稜線上のもう杣道とも

実は今回ここを通っただけで柏尾寺跡周辺に4ヵ所程の肥溜め跡が確認できている。

つまり、江戸の時代に終わったらしき柏尾寺らしいが、その後もそこには住人がいて、それは明治大正を超え、昭和の時代、おそらく30、40年代程まで続いていたらしき事。

そしてそれは私の願望でも、希望的観測でもなく

【少し高度を下げた場所にある金属製の建材】


物理的な根拠に基づく一般的な判断である。



芳原の集落が近づいてきた

麓の集落が近づいてきたようだ、水道の施設だろう
(水道に関する施設のようだが全くのスペックに関する表記無し)

原生林の中から、人間の手によってその高さを制限された人工林 すなわち人間の住む界隈に到着。

まるで、江戸、明治、の時代からいきなり令和の時代に突入した気分だ!!

令和の時代に帰還した気分だ


そして神社に参拝

神社に参拝して帰る事にする


春野運動公園の展望台の袂から直上し、柏尾山、そして写真右の烏帽子山の西の白土峠で引き返し、柏尾山から柏尾寺跡を経て下山し、この運動公園の補助陸上競技場まで二時間半ほど!!


運動公園の相撲場の上の展望

昼飯後のほんの軽い道のりでまだまだ日没も余裕がある。

それを考えると、自動車と道路が普及する前の日本人の行動範囲というものは、想像以上に広大で、しかもその行動範囲における人々の活動は密接で親密で、現在の高速道路、新幹線、航空機を利用する以上に人々の心を繋げる絆であったという事が容易に想像できるのである!!