現在、日本はお隣の中華人民共和国との間に「日本の侵略ガー」「日中戦争ガー」「南京ガー!!!」等と、なにやらややこしいお話があるようですが、そもそもこの根本的な原因は、日本が中華人民共和国と戦争をした事もないのに、何故か「戦争をした事」になってしまっているからです。
結論から申しますと、昭和12年7月7日の「盧溝橋事件」以降、日本は当時南京に首都を置く蒋介石国民党と「有事」の状態になりましたが、蒋介石国民党と毛沢東共産党を省く「支那4億人」の圧倒的大多数の中華民国国民の方々とは「支那事変」以前の普通の状態でした。
(しかも「盧溝橋事件」は二日後に「停戦協定」が結ばれています)
そして同年昭和12年(1937年)12月の南京入城以降は、日本軍が「住民を搾取する支那軍」を駆逐した事により南京の治安が急速に改善し、そこの多くの人々が集まる事となり翌昭和13年(1938年)3月には南京を首都とした日本の傀儡政権である「中華民国維新政府」が樹立され、日本との交流もそれ以前同様に行われ留学生も来ていましたし、実際に昭和15年の日本の「国勢調査」では同年の「日本に居留する中華民国人」は「19,453人」でした。
【昭和15年度・国勢調査《人口総数、男女の別、民籍、国籍》】
[e-stat⇒分野から探す⇒人口世帯→国勢調査⇒昭和15年度国勢調査⇒5.人口総数民籍または国籍]
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&tstat=000001036871&cycle=0&tclass1=000001037102&second=1&second2=1
現在日本の教科書では昭和12年7月7日の「盧溝橋事件」を発端に「日中戦争」が勃発し、やがて泥沼の「全面戦争」に突入した・・・なんて教えてますが、あれはとんでもない「大嘘」で、実際は支那4億人のごく一部の特定の勢力である蒋介石国民党と「有事」の事態になっていただけで、その他の支那4億人の圧倒的大多数の中華民国の方々とは以前と同様の交流関係にあり、その内容は日本に留学生も来ていて、昭和15年度には日本に居留する中華民国国籍の方が19,453人程いるという関係でした。
(昭和12年に盧溝橋の発砲事件により日中戦争が勃発し泥沼の全面戦争に突入した、と言われる昭和15年に、翌年開戦するアメリカ人の4倍程の中華民国人が日本に居留していた訳ですから、戦争していたらこんな事は起きません)
そもそも「戦争」とは「宣戦布告」で始まり「講和条約」を持って終結するものです。 「発砲事件」程度で「戦争」が始まらない事は、現在では「ミサイル発射」したぐらいでは「戦争」にならない事からも充分に理解できる世界の常識です。
しかも「日中戦争」が始まったと言いながら、「盧溝橋事件」「通州事件」「上海事変」「南京事件」等といちいち「事件」や「事変」になってしまう事からも、実はそれが「戦争」ではない事を物語っていますし、第二次世界大戦・大東亜戦争で「真珠湾事件」「ミッドウェー事件」「フィリピン事件」「東京大空襲事件」「広島・長崎原子爆弾投下事件」と呼ばないのと同じ事です。
また「通州事件」「上海事変」等は日本人も犠牲になった訳でが、それならそれで祖国が戦争を始めた国から帰国もせず、御目出度くもそのまま呑気に居留し敵国の軍隊に虐殺されただけの話になりますし、中華民国も中華民国で戦争状態に突入した相手国の居留民を呑気にそのまま滞在させていたというあり得ない滅茶苦茶な話にもなってしまいます。
まあ要は「戦争していないのに戦争した事にしているから、そんな矛盾が発生している訳なのですが・・・」
そして日本軍の南京入城(昭和12年12月)の翌年3月に南京に成立した日本の傀儡政権である「中華民国維新政府」は、その後、北京を首都とした「中華民国臨時政府」と合流し、昭和15年3月30日に南京に汪兆銘を首席とする「中華民国」が成立します。
教科書では日本が「国民政府を相手とせず!!」なんて、日本が中華民国との交渉を打ち切り暴走したみたいな表現をしてますが、実際は重慶の蒋介石国民党が米英に操られていて話にならないから、南京の汪兆銘・中華民国を樹立、支援し、この汪兆銘政権を主導として中華民国の安定を実現しようとしてただけの話で、またその政権には蒋介石を受け入れ、お互いの中華民国の和平を実現するための「蒋介石のためのポスト」も用意されていました。
●ややこしいけどこんな感じです。
またその汪兆銘政権は昭和18年1月9日に日本の同盟国として連合国に「宣戦布告」し参戦していますし、同年11月5・6日に東京で開催された「大東亜会議」(参加国 日本・中華民国(南京汪兆銘政権)・満州国・フィリピン共和国・ビルマ国・タイ・インド)にも参加しています。
これに対して連合国が行ったのが同年11月22日の「カイロ会談」(ルーズベルト・チャーチル・蒋介石)という訳です。
年代は少し戻って昭和16年12月8日に日本の「真珠湾攻撃」と「宣戦布告」で「大東亜戦争」が始まります。
そして日本の「宣戦布告」の翌日9日、日本と「支那事変」(日本での呼称)という形で「有事」の状態にあった重慶の国民党蒋介石は、日本に対して「宣戦布告」をします。
この事により「支那事変」は「大東亜戦争」に含まれる事となり、日本と重慶の蒋介石国民党は正式に「戦争状態」となります。
(また真珠湾攻撃が、卑怯な騙し討ちなんて騒ぐ方もいますが、日清戦争、日露戦争は宣戦布告以前に戦闘状態に入っていますし、第二次世界大戦自体が実は宣戦布告以前に戦闘状態に突入しています)
そして昭和20年8月14日、日本は連合国の「ポツダム宣言」を受諾し「戦争」を終結させる事とし、翌日15日「非常の手段でこの状況を終息させる事にした。これから日本国民の受ける受難は大変なものになるが、それを乗り越えて日本の再建に全力を傾けて欲しい」という内容の「玉音放送」があり、16日には「日本軍」への停戦命令が下されます。
ここで日本の教育で間違った教え方をしている訳ですが、これは日本政府が無条件降伏したのではなく、13ヶ条の「ポツダム宣言」の中に「日本政府による日本軍に無条件降伏とその保証」が含まれていたから、日本政府は日本軍に「停戦命令」を下し日本軍はその政府の命令に従っただけの話です。
(アメリカ軍の圧倒的物量差でも止める事の出来ない日本軍の攻撃を止める事が出来るのは、日本政府だけですから)
また海軍は壊滅状態にありましたが陸軍250万の戦力は健在で、だから「本土決戦」という言葉が現在にも伝わっている訳ですが、それでも「ポツダム宣言」を受諾し連合国の条件を飲む事で戦争を終結させる事にしたのは、アメリカ軍が「原子爆弾投下」という、もはや戦争とは呼べない「民間人の大量無差別殺人」を始めたからです。
所謂スポーツの試合における「ルール無視の場外乱闘」で試合中止・・と言っても戦争とスポーツでは次元が違い過ぎて適切な例えにはなりませんが、「戦争」も「国際社会における外交」で「国際条約により戦争の規定」が決められています。(ハーグ陸戦条約)
また1648年のウエストファリア条約にまだその概念が遡れそうです。
そして、その様な状態で戦いを続けると、勿論劣勢にある日本民族の滅亡はおろか、世界文明の破滅に繋がる、だから戦争を「ポツダム宣言」という滅茶苦茶な内容の条件を丸呑みしてそれを履行して、そこから日本の再建を図ろうという事になったのです。
(講和の仲裁を期待していたソ連が「日ソ不可侵条約」を破棄して北海道に侵攻してきた事も大きかったと思います。そのまま続けば日本が分断されていた可能性もありました。日本から見れば不可侵条約を破棄し侵攻してきたソ連は卑怯だと言えるかもしれませんが、ソ連も大戦初期に独ソ不可侵条約を破棄されてドイツに侵攻されています。視点が変われば歴史の解釈の仕方も変わってくる事でしょう)
その後、日本は昭和20年9月2日に「降伏文書調印」し、ポツダム宣言にあった占領政策を受け入れ、歴史解釈権を奪われ、東京裁判を受け入れ連合国側の条件を全て履行し、1951年9月8日サンフランシスコ講和条約調印、翌年4月28日批准し、日本は再び主権を回復し独立を果たします。
(東京裁判の費用27億円は全て日本の負担でした)
また昭和16年12月9日の蒋介石国民党の戦争により始まった「中華民国」と「大日本帝国」との戦争は、サンフランシスコ講和条約批准の同日、昭和27年4月28日に調印され、同年8月5日に批准し、両者の戦争状態が終結します。
で、、、、、、、、、、
蒋介石と日本との戦後の棚ボタ狙いで逃げ回り、戦力を温存していた「毛沢東共産党」が内戦に勝利し、1949年10月に「中華人民共和国」を樹立する訳です。
また国共内戦で蒋介石国民党が負けてしまった理由の一つに、蒋介石が南京国民政府の中華民国だった頃の1935年、支那の通貨を統一するために人民から「銀」を集め蒋介石の「紙幣」を発行し、蒋介石は一気に全土の銀を保有する大金持ちになり、さらに紙幣を擦りまくりハイパーインフレを起こしてしまい、その事が原因で国共内戦で人民の支持を得られず形成が不利になってしまったという側面もあります!!
で、、、、、
そんな建国間もない中華人民共和国と1972年「日中国交正常化」などと訳の分からない事を言っているから可笑しな話になっている訳で、あれは「日中国交樹立」です。
で、、、もっと言えば「中華民国」と言えば現在の「台湾」ですが、当時の「中華民国」は蒋介石国民党、毛沢東共産党等と軍閥が乱立する「カオス」状態の事で、その前の「清朝」は漢民族の国家ではなく「満州族」が「モンゴル族」と友とし、ウイグル、チベット、漢民族を支配する王朝でした。
また戦前は源義経が支那大陸でチンギスハンになったという話も活発で、もし戦争の結果が変わっていれば、チンギスハン・義経伝説ももっと有力な歴史認識の一つになっていたかもしれません!!
現在の中国でチンギスハンが実は日本人だったなんて事になれば「国家の存亡」に関わる大惨事になってしまいますから!!!!