皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(昭和57年4月13日内閣閣議決定)

2023-08-15 11:38:18 | 皇紀二千七百年党 廣田晋一郎
だから日本武道館で「全国戦没者追悼式」が行われているのです。
そしてこの日に「戦没者を追悼し平和を祈念」するために靖国神社に参拝する事も日本人として当たり前の事です。


その当たり前の事を昭和60年、中国に文句言われて時の中曽根総理が反応してしまって、出来なくなったのではなく、勝手に行かなくなったのが、その後の内閣総理大臣の靖国神社参拝なのです。

その当たり前の事さえ出来なくなっている日本だから、現在の混乱が続いているのです。

またこの日を「終戦日」「終戦の日」「終戦記念日」と呼ぶ風潮もありますが、これはマスコミが勝手に作った言葉であり、本来は上記にあるように「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。

そして、この日を境に昭和16年12月8月から3年8カ月間の戦闘期間より更に3年間長い6年8カ月間、昭和27年4月28日までのGHQ占領政策が始まった事を忘れてはいけません。

その占領政策において日本は憲法を始めとするあらゆるものをGHQの都合の良い内容に書き換えられています。
当然歴史の教科書もそうです。
そして現在の歴史の教科書の内容は簡単に言えば「戦前の日本は酷い国だったがアメリカによって自由平和平等を愛する民主主義の国に生まれ変わった、万歳万歳」です。
そしてその様な教育を国民に施し、その中で東大卒を筆頭とした「特に優秀な成績を治めた者」がその後、官僚、議員、政治家、大臣、総理大臣になりこの国の舵取りをしているのが現状です。

だから戦前生まれの政治家が姿を消し、戦後生まれの政治家だらけになった今、日本が現在のようになったのは当然、必然、という訳です。

しかし、このままでは本当に日本が取り返しのつかない大変な事になってしまします。
何故なら、アメリカ本土に帰っていったGHQ占領軍に代わって、日本人が占領政策を継続していると同じ状態だからです。

日本の歴史を取り戻す。これは「日本を取り戻す」という意味なのです。

帝国国策遂行要領

2023-08-14 20:06:55 | 大東亜戦争は日本が仕掛けた
ハルノートを突き付けられたから日本は戦争に引きずり込まれた~~!!!

んじゃありません。

その前から日本は交渉決裂なら開戦を決めていました。

●●ウイキの参考資料●●
帝国国策遂行要領 - Wikipedia
国立公文書館アジア歴史資料センターの原本写真も検索出来ます。

●●●昭和16年の日米交渉の流れ(だいたい)●●●
4月13日  日ソ中立条約
      日米諒解案→日本返電
6月21日  日米諒解案 アメリカ側再修正案
7月25日  在米日本資産凍結   日本も米国資産凍結
7月27日  日本軍南部仏印進駐開始(フランスにも話つけて合法的に進駐なのに)
8月 1日  石油禁輸(なんで禁輸してくんの、仏印の事やから関係ないやん、って話ですよ!!)
8月 9日  大西洋会談
8月17日  ルーズベルト二文書を野村大使に手交 日本28日に回答
9月 6日  帝国国策遂行要領・再検討
11月5日  帝国国策遂行要領決定
●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●
  7日  甲案提示
  20日 乙案提示
  27日  ハルノート
12月8日  開戦

となる訳です。

●●●帝国国策遂行要領●●●


●●●7日提示の甲案●●●


●●●20日提示の乙案●●●


この様に日本側もアメリカに対して「支那事変の邪魔しないでね」「石油頂戴!!」など等、到底アメリカに受け入れる事の出来ない要求をしていた訳です。

●●●そして11月27日のハルノート●●●
ハル・ノート - Wikipedia



そしてハルノートを受け取り
「之にて帝国の開戦決意は踏み切り容易となれり、芽出度芽出度(めでたしめでたし)。之れ天佑とも云ふべし。之に依り国民の腹も堅まるべし、国論もー致し易かるべし」


となる訳ですから!!!!!
現在の日本の歴史はGHQに都合よく書き換えられたもの。

「めでたしめでたし、天祐とも云うべし」、、、もしかしてこれが当時の日本人の本音だったのかもしれません。

つまり「ハルノートを突き付けられ無謀な戦争に引きずり込まれたぁ~~~!!」のではなく、、
実際は、開戦予定前に正式に宣戦布告文書を受け取れたので、これで堂々と開戦出来る。めでたしめでたし。という事だったのでしょう。
そしてその様な外交を重ねてきた野村来栖両大使が、真珠湾攻撃のお知らせを、味方の損害犠牲が出来るだけ発生しないように、決して事前にお知らせする事なく、作戦成功後余裕をもってお届けしたのではないでしょうか。

なにかギクシャクした事象を不自然に繋ぎ合わせたかの様にも思える現在の自虐史観よりも、この様に考えたほうがよっぽど辻褄が合うし、先入観無しに純粋に客観的に流れを見ればこうなってしまうのではないだろうか。


因みに私の誕生日はそのハルノートの11月27日  私の誕生日の27年前の話で、現在私は皇紀二千七百年党代表!!

単なる偶然とは思っていません!!

あ、そして住んでるのも春野町(はるのーちょう)(笑)