みなさん、こんにちは♪
前畑 義亘です。
私が、現在のグーブログに移転してきたのは、今年の2月でした。
ブログを始めた時に使っていたのは、Tumblr(タンブラー)でしたので、
かれこれ3年近く続けていることになります。
今、こうしてブログを書いたりしていますが、
私は、文章を書いたりすることが、余り得意ではないと思っています。
ですので、自分自身よく続けてきているなと思っています。
さて、本題に入りますが、ブログを始めた当初は、
『幸せ』に関する話題が多かったと思っています。
いや、むしろ、自分自身が『幸せ』を感じていることを
強調している記事が多かったように感じています。
だから、読者の中には、反感を持ったり反発される方もいました。
具体的なことは書きませんが、実際に厳しい言葉を頂いたこともあります。
今、思えば、当然のことだと思います。
『幸せ』ばかりを強調する人は、妬まれて当然だと思うからです。
でも、最近は、変わってきました。
『静かで、穏やかな心』でいること
そのような心でいることが、
いちばん大切であると思うようになってきました。
『幸せ』は、誰もが望むことだと思います。
でも、それが、自分や家族の事だけになってしまっては、
完全なエゴになってしまいます。
また、周りの反感を招いたりすることもあります。
地球全体または全人類などのように、大きな心で
『幸せ』を願うことは、エゴではないですが、これは難しいと思います。
この大きな心で、『幸せ』を願っている人がどれだけいるでしょうか。
あくまでも、私の視点ですが、本当に本当に厳しい言い方を致しますと、
そのような方はほとんどいないと見受けられます。
口先では、いくらでも言えることができます。
でも、その心の中は・・・
私たち人間が、自我という枠の中に収まって生きています。
だから、その自我を維持し守っていくことが、いちばん大事です。
自我枠に収まっている生命体としては、致し方のないことだと思っています。
話が少し逸れましたので、戻します。
だけれど
『静かで、穏やかな心』でいることは、違います。
たとえ自分自身だけのことを思って、
自分自身だけが、『静かで、穏やかな心』であろうとしても、
その心が、自分自身の周りに波及していきます。
結果として、周りも同調していくのです。
つまり、自分自身だけのためにならないのです。
荒々しいイライラした心の人に対しても、
『静かで、穏やかな心』で接していれば、
その人も『静かで、穏やかな心』になっていきます。
私自身、日常でも、仕事場においても、
そのようなことを日々、何度も経験させて頂いております。
そのようなわけで、今回も、詩を書かせて頂きました。
タイトルは、『静かに、そして穏やかに』です。
アメブロにアップしています。
前畑 義亘です。
私が、現在のグーブログに移転してきたのは、今年の2月でした。
ブログを始めた時に使っていたのは、Tumblr(タンブラー)でしたので、
かれこれ3年近く続けていることになります。
今、こうしてブログを書いたりしていますが、
私は、文章を書いたりすることが、余り得意ではないと思っています。
ですので、自分自身よく続けてきているなと思っています。
さて、本題に入りますが、ブログを始めた当初は、
『幸せ』に関する話題が多かったと思っています。
いや、むしろ、自分自身が『幸せ』を感じていることを
強調している記事が多かったように感じています。
だから、読者の中には、反感を持ったり反発される方もいました。
具体的なことは書きませんが、実際に厳しい言葉を頂いたこともあります。
今、思えば、当然のことだと思います。
『幸せ』ばかりを強調する人は、妬まれて当然だと思うからです。
でも、最近は、変わってきました。
『静かで、穏やかな心』でいること
そのような心でいることが、
いちばん大切であると思うようになってきました。
『幸せ』は、誰もが望むことだと思います。
でも、それが、自分や家族の事だけになってしまっては、
完全なエゴになってしまいます。
また、周りの反感を招いたりすることもあります。
地球全体または全人類などのように、大きな心で
『幸せ』を願うことは、エゴではないですが、これは難しいと思います。
この大きな心で、『幸せ』を願っている人がどれだけいるでしょうか。
あくまでも、私の視点ですが、本当に本当に厳しい言い方を致しますと、
そのような方はほとんどいないと見受けられます。
口先では、いくらでも言えることができます。
でも、その心の中は・・・
私たち人間が、自我という枠の中に収まって生きています。
だから、その自我を維持し守っていくことが、いちばん大事です。
自我枠に収まっている生命体としては、致し方のないことだと思っています。
話が少し逸れましたので、戻します。
だけれど
『静かで、穏やかな心』でいることは、違います。
たとえ自分自身だけのことを思って、
自分自身だけが、『静かで、穏やかな心』であろうとしても、
その心が、自分自身の周りに波及していきます。
結果として、周りも同調していくのです。
つまり、自分自身だけのためにならないのです。
荒々しいイライラした心の人に対しても、
『静かで、穏やかな心』で接していれば、
その人も『静かで、穏やかな心』になっていきます。
私自身、日常でも、仕事場においても、
そのようなことを日々、何度も経験させて頂いております。
そのようなわけで、今回も、詩を書かせて頂きました。
タイトルは、『静かに、そして穏やかに』です。
アメブロにアップしています。
読んで頂けたら、とても嬉しいです。
今回は、以上になります。
では、また。
では、また。