先日、1週間ばかし病院にお世話になった。
その時の主治医のセンセが以前、大変お世話になった試験官に
似ていたので思い出した話をひとつ。
今は大型二輪は教習所で免許が取れるのだけど、
アタシは限定解除試験世代。
大型二輪車に乗るには試験場で限定解除試験を受け、
合格しないと免許がもらえなかった。
あの頃は限定解除は難しく、東京では大型二輪車を
自在に乗りこなす実力がなければ合格できなかった。
アタシは府中にあった某メジャーな限定解除専門の教習に通い、
受験していたけれど合格まであとちょっとのところで帰郷することになり、
改めて地元で受験することになってしまった。
そして帰郷する間際、府中の教習教官が
「地方は相当数受けないと合格出来ない場合が多い」
と励まし?のお言葉を頂いたとおり、こちらで試練の受験が待っていたのだ。
忘れもしない、地元の試験場に最初に受験しに行った時、受付の試験官が
「え?あんたが受けるの?ほんとにあんたが受けるの?」
と何度も怪訝そうに聞いたうえ、
「女が大型なんか無理だよ」と小馬鹿にされたことを。
事前審査は通常、取り回し2回センタースタンド1回引き起こし2回のはずが、
この時の試験官は取り回し5回センタースタンド5回引き起こし10回と仰せになった。
もちろん意地でもやっちゃると、こなしたけれど・・・。
めちゃめちゃくたびれた。
タンクに砂が入ってるんじゃないかと噂もあったくらい、
古いバイクはすこぶる重かったのだ。
後で聞いたのだが、あの時アタシはこちらで
女性では2番目に限定解除試験を受けたらしい。
なんちゅう田舎じゃ~っとがっくしきたのだけれど、
まだまだ女性ライダー自体が地元には少ない時代だった。
だから少なからずとも女が限定解除試験を受けるのは
いろいろと偏見っぽく見られてたと思う。
で、試験官にネチネチ嫌味を言われ、最初に試験を受けてから暫くは
受けに行くのも腹立たしくて少し合間が空いたけど、
やっぱり諦めきれずに再チャレンジすることに。
行かない間に入ったバイククラブのメンバーも受けに行っていたので
今度はずいぶん心強かったから。
それに受験者はアタシを除いて全部男性、紅一点は目立ちもしたけど
珍しがられて受験者のみんなに励まされた。
当時こちらの限定解除試験の平均合格回数が27回。
試験受けますか、仕事やめますかってくらい、続けて受験し続けなければ
合格できない状況だったので、アタシも仕事やめちゃるかもって覚悟。
みんなそう。
だから余計顔なじみ同士、団結してたなあ。
誰もで情報を交換して試験に臨む。
今日のコースはどうだとか、試験官は誰だとか。
試験官はとにかく皆(落とそうとする試験なので)鬼のようで、
特に鬼といわれていた厳しい試験官がN試験官だった。
返事が小さいだけで「お前っ!とっとと帰れ!!」
と怒鳴られることはしょっちゅう、バイクのエンジンもかけない内から
不合格にされる受験者もいるくらい細かいところまで厳しく採点される人だった。
この試験官に当たった日は合格できないとさえ言われてるくらい。
アタシも最初はN試験官は怖くてあまり近寄れなかったと思う。
毎週受けてたからもちろんN試験官に何度か当たったけれど、
やっぱりなかなかコースを完走させてもらえなかったな。
ただ厳しい言い方だけれどN試験官が減点対象になった部分について
言われることはしっかり頭に叩きこんどかなきゃって思ってた。
それが合格への足がかりだったし。
試験合格に近付いた目安としてコースの完走があったのだけど
コースを完走するようになってもなかなか合格出来ない人もいた。
アタシもその部類らしく比較的早く十何回目くらいから完走してたと思うけど
なかなか合格出来なくて、ある日見かねたらしいN試験官から
呼ばれてほんとに多くのアドヴァイスを頂いた。
呼ばれたことにもびっくりだったけど、それまで厳しいと思っていた試験官が
別人に思えた瞬間だった。
他の試験官が言うにはN試験官は本当にバイクが好きな方で
中途半端な乗り手には厳しいけれど、真剣に頑張ってる人には仏のような人だと。
それを目の当たりにしたのはそれから何度か受けた時だった。
その日はN試験官に当たった。
アドヴァイスのお陰もあって自分でもこなせていると感じている頃だった。
出だしも好調、コースも万全、課題の一本橋・制動・スラロームと
難なくクリアし、残すは本コースの外周のみ。
タイトなUターンをして課題コースから本コースに出る時だ。
「ごぉぉぉ~~ん!!」
コースに鳴り響く音・・・。
タイトに切り込み過ぎてバンパーをガードレールに接触させた音だった。
幸いなことにライディングは全くブレず、走りには問題なかった。
でも、今日の試験は終わった・・・・。
アタシはがっくりして本コースの外周路でバイクを止め、
手をあげて試験官の指示を待った。
もちろんスタート地点に戻れと指示があると思っていたけれど
タワーに居るN試験官はスピーカーで
「どうした?コースが解らんくなったのか?」と聞いてきた。
「バンパーが接触しましたぁ」
と大声でアタシは答えた。
その答えに対しN試験官は
「何?今のは溝蓋の音だろ?溝蓋の音だ、そうだろ」と。
この時アタシが思ったのは、待合で順番を待ってる人達に
バンパー接触したのは解らないわけないってこと。
嘘はつけない・・・。
で、結局もう一人の試験官とN試験官がタワーから降りてきて
アタシのところまでやったきた。
「今のは溝蓋の音じゃなかったのか?」と再度聞くN試験官。
アタシは正直に「いえ、バンパーが接触しました」と答えたので
もう一人の試験官がバンパーを調べると、ガードレールの塗料が付いてた。
「こりゃ接触しとるな」ともう一人の試験官に言われると
N試験官はとてつもなく残念そうに、
「おまえ、今まで減点ゼロだったんだぞ」と漏らした。
その瞬間アタシは涙があふれ出してボロボロ泣いてしまった。
「馬鹿っ!泣くな!」
N試験官の叱咤は今までにない温もりを感じた。
その時しみじみN試験官が仏だと言われるのを実感した。
スタート地点の待合に戻ってみるとやっぱり
みんなにはバンパー接触は解っていた。
そしてその音を溝蓋の音だと言ったN試験官のことも。
それを利用して嘘つかなかったからアタシを暖かく迎えてくれた。
受験者のだれかが
「N試験官は自分が合格のスタンプ押してやりたかったんだな」って言った。
そうか、そうなのか。
それは一生懸命頑張ってきたご褒美なんだろうか。
とにかくそれに報いれなかったことが凄く悔しかった。
帰り際、N試験官が「涙クンはもう乾いたのか?次は合格頑張れよ!」
にっこり笑ってVサインをくれた・・・・。
その頃のことなど忘れていたので、今回思い出せてとても懐かしかったなぁ。
次の週の試験はどうだったかって?
もちろん記念すべき20回、誕生日に合格したわけで。
長い思い出話でやんした。
その時の主治医のセンセが以前、大変お世話になった試験官に
似ていたので思い出した話をひとつ。
今は大型二輪は教習所で免許が取れるのだけど、
アタシは限定解除試験世代。
大型二輪車に乗るには試験場で限定解除試験を受け、
合格しないと免許がもらえなかった。
あの頃は限定解除は難しく、東京では大型二輪車を
自在に乗りこなす実力がなければ合格できなかった。
アタシは府中にあった某メジャーな限定解除専門の教習に通い、
受験していたけれど合格まであとちょっとのところで帰郷することになり、
改めて地元で受験することになってしまった。
そして帰郷する間際、府中の教習教官が
「地方は相当数受けないと合格出来ない場合が多い」
と励まし?のお言葉を頂いたとおり、こちらで試練の受験が待っていたのだ。
忘れもしない、地元の試験場に最初に受験しに行った時、受付の試験官が
「え?あんたが受けるの?ほんとにあんたが受けるの?」
と何度も怪訝そうに聞いたうえ、
「女が大型なんか無理だよ」と小馬鹿にされたことを。
事前審査は通常、取り回し2回センタースタンド1回引き起こし2回のはずが、
この時の試験官は取り回し5回センタースタンド5回引き起こし10回と仰せになった。
もちろん意地でもやっちゃると、こなしたけれど・・・。
めちゃめちゃくたびれた。
タンクに砂が入ってるんじゃないかと噂もあったくらい、
古いバイクはすこぶる重かったのだ。
後で聞いたのだが、あの時アタシはこちらで
女性では2番目に限定解除試験を受けたらしい。
なんちゅう田舎じゃ~っとがっくしきたのだけれど、
まだまだ女性ライダー自体が地元には少ない時代だった。
だから少なからずとも女が限定解除試験を受けるのは
いろいろと偏見っぽく見られてたと思う。
で、試験官にネチネチ嫌味を言われ、最初に試験を受けてから暫くは
受けに行くのも腹立たしくて少し合間が空いたけど、
やっぱり諦めきれずに再チャレンジすることに。
行かない間に入ったバイククラブのメンバーも受けに行っていたので
今度はずいぶん心強かったから。
それに受験者はアタシを除いて全部男性、紅一点は目立ちもしたけど
珍しがられて受験者のみんなに励まされた。
当時こちらの限定解除試験の平均合格回数が27回。
試験受けますか、仕事やめますかってくらい、続けて受験し続けなければ
合格できない状況だったので、アタシも仕事やめちゃるかもって覚悟。
みんなそう。
だから余計顔なじみ同士、団結してたなあ。
誰もで情報を交換して試験に臨む。
今日のコースはどうだとか、試験官は誰だとか。
試験官はとにかく皆(落とそうとする試験なので)鬼のようで、
特に鬼といわれていた厳しい試験官がN試験官だった。
返事が小さいだけで「お前っ!とっとと帰れ!!」
と怒鳴られることはしょっちゅう、バイクのエンジンもかけない内から
不合格にされる受験者もいるくらい細かいところまで厳しく採点される人だった。
この試験官に当たった日は合格できないとさえ言われてるくらい。
アタシも最初はN試験官は怖くてあまり近寄れなかったと思う。
毎週受けてたからもちろんN試験官に何度か当たったけれど、
やっぱりなかなかコースを完走させてもらえなかったな。
ただ厳しい言い方だけれどN試験官が減点対象になった部分について
言われることはしっかり頭に叩きこんどかなきゃって思ってた。
それが合格への足がかりだったし。
試験合格に近付いた目安としてコースの完走があったのだけど
コースを完走するようになってもなかなか合格出来ない人もいた。
アタシもその部類らしく比較的早く十何回目くらいから完走してたと思うけど
なかなか合格出来なくて、ある日見かねたらしいN試験官から
呼ばれてほんとに多くのアドヴァイスを頂いた。
呼ばれたことにもびっくりだったけど、それまで厳しいと思っていた試験官が
別人に思えた瞬間だった。
他の試験官が言うにはN試験官は本当にバイクが好きな方で
中途半端な乗り手には厳しいけれど、真剣に頑張ってる人には仏のような人だと。
それを目の当たりにしたのはそれから何度か受けた時だった。
その日はN試験官に当たった。
アドヴァイスのお陰もあって自分でもこなせていると感じている頃だった。
出だしも好調、コースも万全、課題の一本橋・制動・スラロームと
難なくクリアし、残すは本コースの外周のみ。
タイトなUターンをして課題コースから本コースに出る時だ。
「ごぉぉぉ~~ん!!」
コースに鳴り響く音・・・。
タイトに切り込み過ぎてバンパーをガードレールに接触させた音だった。
幸いなことにライディングは全くブレず、走りには問題なかった。
でも、今日の試験は終わった・・・・。
アタシはがっくりして本コースの外周路でバイクを止め、
手をあげて試験官の指示を待った。
もちろんスタート地点に戻れと指示があると思っていたけれど
タワーに居るN試験官はスピーカーで
「どうした?コースが解らんくなったのか?」と聞いてきた。
「バンパーが接触しましたぁ」
と大声でアタシは答えた。
その答えに対しN試験官は
「何?今のは溝蓋の音だろ?溝蓋の音だ、そうだろ」と。
この時アタシが思ったのは、待合で順番を待ってる人達に
バンパー接触したのは解らないわけないってこと。
嘘はつけない・・・。
で、結局もう一人の試験官とN試験官がタワーから降りてきて
アタシのところまでやったきた。
「今のは溝蓋の音じゃなかったのか?」と再度聞くN試験官。
アタシは正直に「いえ、バンパーが接触しました」と答えたので
もう一人の試験官がバンパーを調べると、ガードレールの塗料が付いてた。
「こりゃ接触しとるな」ともう一人の試験官に言われると
N試験官はとてつもなく残念そうに、
「おまえ、今まで減点ゼロだったんだぞ」と漏らした。
その瞬間アタシは涙があふれ出してボロボロ泣いてしまった。
「馬鹿っ!泣くな!」
N試験官の叱咤は今までにない温もりを感じた。
その時しみじみN試験官が仏だと言われるのを実感した。
スタート地点の待合に戻ってみるとやっぱり
みんなにはバンパー接触は解っていた。
そしてその音を溝蓋の音だと言ったN試験官のことも。
それを利用して嘘つかなかったからアタシを暖かく迎えてくれた。
受験者のだれかが
「N試験官は自分が合格のスタンプ押してやりたかったんだな」って言った。
そうか、そうなのか。
それは一生懸命頑張ってきたご褒美なんだろうか。
とにかくそれに報いれなかったことが凄く悔しかった。
帰り際、N試験官が「涙クンはもう乾いたのか?次は合格頑張れよ!」
にっこり笑ってVサインをくれた・・・・。
その頃のことなど忘れていたので、今回思い出せてとても懐かしかったなぁ。
次の週の試験はどうだったかって?
もちろん記念すべき20回、誕生日に合格したわけで。
長い思い出話でやんした。
まっすぐに頑張る子は応援したくなりますね。
教官もきっとそう思ったのでしょう。
今じゃそんなシナリオ無いもの(笑)
あの頃は直向きに頑張ってたってことですね。
自分でも思い出して懐かしかったですよ。
N試験官はその後郷里に帰られたと聞いたので
もうお会いすることは無いですが、
元気でバイクに乗っていて下さればいいなあって思います。